I wanna wake up where U are (君のもとで覚醒めたい)
トロデーン城は、帰ってきた城の至宝に歓喜の声を張り上げた。差し出されたエイトの手を伝って馬車を降りたミーティアは、故郷に戻ってきた安心感と、皆が自分の行動を咎めない安堵感に胸を撫で下ろした。
「しっかし、結婚式を逃げ出すような花嫁を貰ってくれる男などおるかのう?」
トロデ王の呟いた一言に、ミーティアはチラリとエイトを見た。馬車を降りても離れない手と手。ミーティアはずっと繋いでいたいと思った。
同じくトロデ王の言葉に反応していたエイトと目が合う。
彼を見て改めて思う。自分は結婚の盟約を破棄して後悔ないと。
そしてトロデ王も後悔はしていなかった。王者の儀式よりチャゴス王子の人格を見て悩んではいたが、やはり愛妻の面影の残るたった一人の愛娘をあのような男にやることはできない。一国の王としてよりも、父親という一人の人間として間違いはしたくなかった。
またトロデ王は、我が愛娘が誰に恋心を抱いているのかも知っていた。
(あるいはエイトなら)
誰よりも信頼のおける、我城と世界を救った勇者エイト。愛娘は最高の男を選んだと思っていた。彼さえその気なら、盛大に二人を祝ってやりたい。しかしトロデ王は、信頼するが故に彼の性格も把握していた。彼からはミーティアを貰い受けるなど、決して言わないだろう。
(……さて、どうしたものか)
城の番兵や警備兵、軍隊と違って、近衛兵はより王族の身辺に仕え、その安全を守らねばならない。近衛隊長としてエイトは、帰還して早々に夜間の城の見回りに当たった。
ミーティアの部屋に差し掛かった時、寝巻きにローブを羽織る彼女に出くわした。水差しを手に持ちながら、大きなランプを抱えている。
「ミーティア?」
エイトの声に反応したミーティアはパッと笑顔になった。エイトは彼女の手に危なっかしく掛かっていたランプを持つ。調理場に水を取りに行くのか、エイトは代わりに取ってくると言ったが、ミーティアは一緒に行きたいと言った。
夜のトロデーン城。人々は寝静まり、不思議な温かさだけが起きている。靴音が廊下に響いて重なる。
「眠れない?」
移動の沈黙が続いたあと、暫くしてエイトが振り向いて声を掛ける。ミーティアがにこりと微笑んだ。
「なんだかトロデーンに帰って来ることが出来たなんて、夢みたいで……嬉しくて」
ミーティアはまるで十数年ぶりに実家に帰郷したかのように、すべてを懐かしい眼で眺める。数日前まで当たり前のように過ごしていたのに。
「君が戻ってきて、皆が喜んでるよ」
改めて周囲をキョロキョロと見渡す彼女の様子に、エイトは自然と笑みが零れた。振り向き様に注がれるその笑顔を見て、ミーティアが思わず口を開く。
「エイトは……?」
前を歩くエイトの背中に、ミーティアはポツリと言った。何かを懇願するように、切なげに見つめるミーティアの瞳は、夜という空間の所為か艶があって美しい。
「え、っと……僕は、その」
エイトは自分個人の気持ちを問われるとは思わなかった。慌てたように言葉を濁しながら、恥ずかしそうにエイトは応える。
「……嬉しいよ」
ミーティアはエイトに尋ねた時から胸が昂ぶっていたが、彼の言葉を聞いて更に鼓動が高鳴った。
「ありがとう……嬉しい」
お互いに頬を紅く染めながら歩き続ける。沈黙のまま調理場に着くと、ミーティアは冷たい水をコップに注ぎ、コクリと一口飲んで一息ついた。水差しにも水を満たして自室に戻る。
「暗いから、足元に気をつけて」
「えぇ」
このまま帰るのかと思うと、ミーティアは急に寂しくなった。チャゴス王子との結婚を振り払った時から、エイトへの想いはもう隠せるものではない。エイトから離れたくないのだ。
「……」
歩みを遅めても、次第に自室は近づいてくる。
とうとうミーティアの部屋まで来てしまった。
「ねぇ、エイト」
「うん?」
思い切ってミーティアは口にした。
「何だか胸がドキドキして、眠れないのです」
溢れる想いは押し留めることが出来ない。
「あの、眠るまで側にいてくれないかしら……?」
夜、こんな気持ちになってしまって、エイトと別れてこのまま一人で眠ることなど到底できない。エイトを離したくない。
「えぇっと……いくら僕でも、この先はムリだよ……」
驚いた顔を見せてエイトが言った。婚約を破棄したとはいえ、ミーティアは嫁入り前の大事な身。男のエイトが彼女の部屋に入るなど、もっての他である。
「エイト。お願い」
ランプを持つエイトの反対の手に、ミーティアはそっと指をかけた。細くて柔らかい指が絡む。懇願する大きな碧色の瞳は、エイトの心を忽ち魅了した。エイトの心臓は明らかに脈動が早くなる。
エイトは昔から彼女のわがままに弱い。ミーティアのお願いは何時も断ることが出来ない。いけない事だ、駄目だと分かりながらも、とうとう彼女の誘うままに扉の中に入ってしまった。
嬉しそうに、また少々に興奮しながら、ミーティアは寝所までエイトを導いた。エイトは部屋の甘い香りにクラクラする。彼は密かに明かりが手元のランプしかないことに安堵した。きっと顔は真っ赤だろう。
ミーティアは布団に潜り、ベッドの隣にある椅子にエイトを促した。ゆったりと布団を被ると、ミーティアは笑顔で手を差し出した。
「手を」
布団の中から差し出された白く細い手は、膝の上で組んでいたエイトの手を絡め取った。
ほんのりと暖かい手。
ミーティアはうっすらと微笑んだ。エイトはドキドキしながらもその手を握った。嬉しそうにミーティアが言う。
「エイトの手、温かいわ」
ミーティアの手が冷えないように、エイトは更に両手でミーティアの手を包んだ。ミーティアも体を横にして、もう一つの手を差し出す。
「エイト」
「うん」
トロンとした瞳で、ミーティアが口を開いた。
「眠るまで、一緒に居て」
「大丈夫。ずっと居るから」
ミーティアはこのまま眠らなくても良いと思った。優しいエイトの瞳を見ながら、ずっとこうして手を繋いでいたい。
しかしエイトの手から伝わる暖かな体温と安心感が次第に眠気を誘う。瞳を閉じて暫くすると、ミーティアは静かな寝息を立てていた。
「……」
エイトはその穏やかな寝顔を見ながら、ミーティアが城に帰って来て本当に良かったと思っていた。これからは彼女をずっと守っていけるのだ。
美しい寝顔を無防備に見せるミーティア。
もう、彼女を不安にさせるものがないように。
朝。
ミーティアが目を覚ますと、エイトが椅子に座って微かに寝息をたてていた。
「……」
初めて見るエイトの寝顔。
穏やかな、静やかなその表情に見惚れてしまって、ミーティアは暫く声が出なかった。エイトはミーティアの片手を膝元に抱え、大事そうに両手で包んでいる。一方、彼女が寝返りを打ったのだろうか、もう片方の手は布団の中で遊んでいた。ミーティアは自分が恥ずかしくなった。
(私ったら、)
ミーティアが布団の中で、恥ずかしがってモソモソしたので、気付いたエイトがうっすらと瞼を開いた。
「……おはよう」
「……」
ミーティアは何も言えなかった。エイトは何時からこんな色っぽい視線を注ぐようになったのだろう。顔を赤らめているミーティアに、優しい笑顔が飛び込んだ。
「眠れた?」
「……ええ。勿体無い位……」
ミーティアはやっと彼に笑顔を返すことが出来た。
目が覚めたら、君が居る。そんな些細な事で、こんなにも幸せに感じるなんて。
満ち足りた安心感が暖かくこの身を包んでいる。改めてミーティアは思う。どうしようもない位、彼を愛していると。
ミーティアが着替えをすると言うので、エイトは部屋を出て兵舎に戻った。夜勤を労う同僚と挨拶を交わし、勤務交代する。エイトは自室のベッドに飛び込んだ。
正直、彼はミーティアの部屋でほとんど眠れなかった。それは椅子に座っていたし、彼女の部屋だという緊張感もあったから当然である。実際、彼は無理な体制でいたものだから、変な所で身体が痛い。
加えてエイトはミーティアの寝顔を見ながら考え事をしていた。
見た目は薔薇のように美しく、話せば向日葵のように明るく可愛らしい姫。ふと思いに耽れば百合のように麗しく、笑えばどの花にも例えようのないほど愛らしい。
「…………」
自分は彼女をどう思っているのだろう? ずっと守っていきたいと思うのは、忠誠心か、それとも。
先ほどまで握っていた手がまだ温かい。エイトはベッドで暫く己の手を見つめていた。
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