HERO
 
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PRINCESS
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 貴女は昔から一人ぼっちが嫌いで。
 暗闇が嫌いで、
 オバケも嫌いで。
 寒いのも寂しいのも大嫌いな「こわがりさん」だった。
 
 でも、もう泣かないで。
 もう怯えなくていい。
 
 僕が貴女を守るから。
 僕が貴女を幸せにするから。
 
 
 
 
 
僕と呪われし姫君

 
 
 
 
 
 近衛隊長として初の大仕事が、サヴェッラ大聖堂にて行われるチャゴス王子とミーティア姫の結婚式における護衛というのは、トロデ王も些か酷な事をする。エイトの昇進という嘉儀を知った嘗ての仲間達は皆そう思った。
 旅の途中に立ち寄ったサザンビーク城。エイト一行は縁あって王家の古いしきたりである「王者の儀式」に関わった。それ故に彼等は、試練を受けることとなったチャゴス王子の人格と器量の程を知っていたし、彼がミーティア姫の結婚相手だということも知っていた。
「盟約とはいえ、こんな状況になっても生きていたんだな」
「結ばれなかった二人の為に、その子孫が結ばれるんでがすか」
「素敵なお話ではあるけどね。当人以外にとっては」
 エイトは、やるせない面持ちで彼等が語っていたことを思い出す。
 特にエイトは、不思議な泉や夢の中で呪いの姿を解いたミーティアと話していたので、彼女がチャゴス王子との結婚に戸惑いと不安を感じていたことは重々承知している。
「お前はどう思ってんの?」
 ふとククールに問われたが、その時は何も言えなかった。
 トロデーン城に近衛として勤めるエイトにとっては、国の「面子」もよく理解る。噂とはいえ、茨の呪いによって滅びたという話が世界中に広まった今は、平和になった証と共に国の健在を知らしめておきたい。盟約を明るみに出して盛大に祝いたいのは、寧ろトロデーン側ではなかろうか。
……
 自分は知りすぎている。彼女の事情もトロデーンの事情も。その全てが理解る故に、エイトは答えられなかったのだ。
「輿入れの品は全て揃ったのかの」
「はい」
 そして今。
 朝食のテーブルには、本来の姿に戻った親子が二人。トロデ王が満面の笑みでミーティアに向かい合っていた。
 エイトは傍らに侍し、食事中の会話を耳に聞く。
「あの調度品は特に良いものを持たせたからのー」
「ありがとうございます」
 次第に近付く挙式に喜んでいるのは父親だけではない。テーブルに並べられた料理の華やかさは日を重ねる毎に増し、来るべきその日を指折り数えているようだ。
「聞けばドレスの仮縫いが終わったとか」
「はい」
「早くミーティアのドレス姿が見たいものじゃ」
「はい……
 それは美しかろうと、トロデ王は目を伏せて想像に耽る。しかしそうして悦に浸る父王と向かい合うミーティアの方は、あまり元気そうではない。
……
 彼女の口数の少なさと声のトーンの低さに、エイトは胸を痛めた。
 今は小さな後背しか見ることは出来ないが、幼少より彼女を知るエイトは表情を伺わなくとも理解る。ミーティアは、嬉々として椅子の上で喜び跳ねるトロデ王を気遣うように柔らかく答えてはいるが、その声には微かに憂いと苦痛が含まれていた。
……
 何も言えない。
 エイトは彼女の背中を見て、小さく唇を噛む。
「サヴェッラ大聖堂までは船での長旅じゃ。それまで身体を壊さぬよう、ゆっくり休んでおくのじゃぞ」
「はい」
 食事が終わると、トロデ王は旅程の確認をしようと大臣を呼びつけて席を立つ。一方、ミーティアの傍には侍女がやってきて、「指輪のサイズを測ります」と彼女の手を引いて行った。
 静かに部屋を去る彼女の背中があまりに小さく見えて、エイトはふいに声をかけようとつま先を動かす。しかし自らこれに気付くと、慌てて居直していた。
 いくら己がミーティアの幼馴染や近衛隊長という近しい立場にあったとしても、数日後には王室へと嫁ぎ、夫を持つ身の上の彼女にそう声はかけられまい。もはや彼女は、自分には踏み入れない領域に居るのだ。
……
 微動した身体を戻し、姿勢を正してエイトは彼女を見送る。もはや視線を交わすことすらない。
 そうして二人は話す機会もなくもどかしい日々を過ごし、とうとう出立の当日を迎えることとなった。
 
 
 
 
 
 朝。
 ミーティアがトロデーン城を発つ日がやってきた。
 全ての準備は整い、空は新しい門出に相応しく澄んでいる。
 嫁入り道具は既に船に積まれ、沈んだ錨は今か今かと出港を待ち焦がれている。青空に翻る帆船は眩しいほどに白く輝き、花嫁を待ちわびるかのよう。
 出港前の繁忙に急く船着場までの街道は、久々の祝儀に沸き立つトロデーン領民の歓喜で溢れ、盛大な人と花、国旗に埋め尽くされていた。
 この喜びに満ちた空気を縫って、旅の仲間達がやってくる。
「よぅ、エイト。久しぶりだな」
「兄貴!」
「変わらないわね。何だか安心しちゃった」
 穏やかな朝の陽光を浴びて、懐かしい顔が揃う。
「みんな、」
 庭先で出立の用意をしていたエイトは、城門を潜って軽やかに手を振り駆けてくる三人を見ると、一気に破顔して彼等を迎えた。
「すっかり見違えたでげすなぁ、この城」
「うん」
 驚きの顔で周囲を見回すヤンガスに、エイトはにっこりと微笑んでいた。
 暗雲立ち込める茨の城より解き放たれたのはもう半年も前のこと。今は婚儀の喜びに城中が輝いている。常春の風情を装うトロデーン城に、もはや暗い影はない。
 まるで絵本の城のよう。この変貌ぶりに目を見張って言うゼシカに、ククールが口を挟んだ。
「それにしても、結婚式というだけでこんなに浮き立ちますかね」
「王族同士の結婚だもの。そりゃそうよ」
「そうか?」
 ククールはやや呆れ顔で光溢れる緑の庭園を眺めた。嘗ては不気味な茨に包まれていた2階へと続く階段。その下に目をやれば、一台の馬車が控えている。美しい毛並みの白馬を繋いだ豪奢な馬車には、これまた派手に着飾った立派な御者が控えていて、傍らの大臣と共に花嫁を待っているらしい。
「事情を知らない奴は暖気(のんき)なもんだ」
 ククールが皮肉染みた言葉を吐いて、噛むように微笑した。
 彼らしい台詞を久しぶりに耳にしたエイトは、これを懐かしむように笑う。
「、そうだね」
 それは溜息に似た相槌。
……
 ククールはこの束の間に見せたエイトの表情を見逃さなかった。彼は皮肉な笑みを解くと一転して真面目な面持ちになり、鋭い眼光でエイトを見やる。
 普段通りの無表情に、やや苦い微笑みが見えたと思ったのは気のせいか。
 ククールはエイトの心境を量ろうとして更に彼を見つめると、その視線に気付いたエイトは思い出したように言った。
「姫を迎えに行くよう仰せつかっていたんだ」
「エイト」
「行ってくるね」
「おい、」
 白い階段を上り、エイトは早々と二階へ駆けていく。
……
 あまり感情の読み取れない彼の表情と声に、ククールは黙って手を止めていた。
 
 
 
 
 
 エイトは階段を上りおえて、しばし足を止める。
 昔と変わらない階段。
……
 何気ないこの場所で、エイトはミーティアとよく遊んだ。
……
 ミーティアは、小さな頃は自由奔放でやや我侭な、典型的な「お姫様」だった。
 こちらの事情や機嫌などお構いなしに、突然現れては「遊んで、エイト」と手を引いて自分を連れまわした。鬼ごっこ、かくれんぼ、おままごと……どんな遊びにも付き合わされた。
 思えば、沢山の我侭を聞いたような気がする。
『真夜中になるとね、廊下のヨロイがカチャカチャって歩くのよ』
 昼は大きな犬を怖がり、夜は幽霊を怖がって。何かと彼女は自分を呼び出した。安らかな眠りより揺り起こされたエイトは、重い瞼を無理矢理こじ開けて、厨房へ水を汲みに行く彼女に付き合った。
『寒い日は、離れちゃイヤ』
 雪の女王が子どもを攫っていくという御伽話を聞いたときか。彼女は「イヤよ、こわい」といって泣き止まず、いつまでたっても己の服の裾を掴んで放さないので、遂にエイトは彼女の部屋で寝ることになった。まだ年端もいかぬ少年とはいえ、男の子が姫様のお部屋に入るとは。そう言ってキリキリと怒る女中頭に、エイトは翌日こってりと説教を垂れられた。
 そうしてがっくりと肩を落として厩舎に行けば、己が叱られた張本人であるミーティアは木漏れ日のような笑顔で待っていて、「あなたが雪の女王にさらわれないで良かった」と喜び、自分に抱きついていた。彼女は自分が攫われることではなく、エイトが誘拐されるのを心配していたのだ。それに気付いた時は胸の辺りがほっこりと温かくなり、叱られた事などどうでもよくなっていた。
(懐かしいな)
 エイトは遠い昔の頃を思い出すと、自然に頬が緩んでいた。
 苦い思い出も、今となっては微笑ましい笑い話。その全てが己の心を温かい灯で照らしてくれる。
……
 孤独を嫌い、幽霊や迷信に怯えるミーティアは、誰よりも人の温もりを求めていた。
 幼くして母親を失った彼女は、ひとり政務を執り仕切る多忙な父王を気遣ってか、ただ一人の家族にさえ甘えられなかった。自分の周囲を取り囲む女中達は、己の身の回りの世話をしてくれるとはいえ、歳と身分を隔てた家臣でしかない。ミーティアは彼女達にも己の寂しさは打ち明けられなかった。
 それが偶然、彼女はエイトに出会った。
 自分と年齢の近い、そして自分と同じく孤独な少年。彼と巡り会って、ミーティアは寂しさを埋め合い、温もりを与え合う存在を見つけた。喜びと悲しみを共有できる「友達」という存在が、彼女の抑圧していた感情を吐き出させ、隠していた心を素直に晒せる「支え」を得たのだ。
 そう。エイトが昔に聞いた我儘は、全て彼女の子どもらしい「甘え」だった。
『暗いの、キライよ』
『オバケ、こわい』
『寒いのはイヤ』
 思えば彼女はずっと言っていたのだ。「寂しい」と。今まで誰にも言えなかった不安を口にすることで、それに代わりうる温もりを求めていたのだ。
 今なら理解る。
 ミーティアは、ずっと己を頼って甘えていたのだ。
(では今は)
 エイトは彼女の部屋の前に来る。
……今は)
 チャゴス王子との結婚を控え、一人トロデーンを離れる彼女は。
 彼女は自身の事をどう思っているだろう。己の境涯をどう感じているのだろう。そして、僕の事は。
……
 エイトは彼女の部屋の扉の前で、ピアノの音を耳に立ち止まっていた。
 
 
 
 
 
 扉を叩くと、鍵盤の音が止んで返事があった。
……エイト?」
「はい」
……入って」
 以前の彼女であれば、扉を叩いた主がエイトだと判れば、すぐさま入り口まで駆け寄ってきて「どうぞ」と綻んだ顔を見せてくれたのだが。
 淡々とした声が遠く扉を隔てた向こうより掛けられて、エイトは静かにノブを回した。
「失礼します」
 部屋に入ると、ミーティアがピアノの前に座っていた。
 今しがた止んだ音色。ピアノや音楽のことはいまいちよく分からないが、今の彼女が弾いていた曲が、どことなく哀しかったのは分かる。胸に冷たい雫を落とすような、美しい音色だった。
 最近耳にする曲は、こんな切ない音色ばかりだ。弾き手の彼女の心情を慮ると、エイトは言葉を失くしてしまう。
……
 ようやく本人に会った自分は、彼女に何と言えば良いのだろう。本来ならば、ずっと言えていなかったお祝いの言葉を述べるべきなのか。決まりきった他人行儀のような祝辞でも、ここは挨拶として言うべきか。しかし。
 結局エイトは小さなその背に何と声を掛けて良いのか分からず、その場に佇んでしまっていた。
「もう時間かしら」
 鍵盤に佇んでいた指を膝に下ろし、ミーティアは後ろ背にエイトに言う。
……はい」
 静かに、エイトが言った。
「お迎えにあがりました」
 言いにくそうに小さく動いた唇から出た低い声を聞くと、ミーティアは小さく「そう」とだけ言い、ゆっくりと椅子より立って彼に向かう。
「エイト、」
 彼女の顔も声も、何十年ぶりに聞くような感触だ。
「私は今日、トロデーンを発ってサザンビークへ嫁ぎます」
 久しぶりに聞いた声は大きくはないが、確りとしていた。
「あなたに此処まで迎えに来て欲しいと大臣に頼んだのは、これまでの感謝とお別れの言葉を言いたかったからです。 ……大臣は渋い顔をしていましたけど、」
 ミーティアは最後の言葉に、僅かに苦笑をのぞかせた。
 いくら近衛といえども、輿入れ前の姫君が「男」のエイトと二人で会うとは……、と大臣は口をモゴモゴして言っていた。やや焦り、言葉を濁しながらもそう言った彼が思い出される。しかし、「これが私の最後の我儘だから」と言ったら、大臣は苦い顔ながらも肯いてくれていた。
……
 これがきっと最後の我儘。最後の挨拶。
「エイト」
 ミーティアはそう思いながら口を開いた。
「今まで本当にありがとう」
 つきつけるような強い口調と、射抜くように真っ直ぐな瞳。
 それはエイトが初めて見る表情だった。
「あなたは本当によく尽くしてくれました」
「姫……
「あなたが此処に来てから、ずっとトロデーンの為に働いてくださいましたね。茨の呪いにかかってからも、これを解こうと懸命になってくれましたこと、忘れません」
 一国の王女らしい毅然とした立ち姿で述べるミーティア。舌足らずの拙い唇で、ませた言葉を口にしていた頃からは全く想像できない。エイトはその立派な成長ぶりに驚きつつも、彼女がどこか自分を突き放しているように感じる。
 まるで他人行儀だ、とエイトは思った。
「そんな、」
 彼女に忠誠を労われ、これまでの行いに感謝の言葉を頂戴するほど自分は彼女から「離れていた」とは思えない。
 エイトは自然と彼女の言葉を辞していた。しかし、
「あなたと過ごすのもあと少し。船旅でもどうか宜しくお願いします」
 ミーティアはエイトの言動を制するように言い放つ。
……
 やはり。
 彼女は不自然すぎるくらいに落ち着いていた。エイトは、彼女が冷静を繕ってわざと己との距離を作っているように感じてならない。
 なんというもどかしさ。久しぶりに彼女と話し、こんなに近くに居ると思ったのに、口を開いた途端に感じてしまったこの「遠さ」は計り知れない。
 この違和感。エイトは直感としてあることに気付きはじめていた。
「姫、」
 きっと、彼女は怯えている。
 小さい頃も何回かあった。彼女がやたらと気丈を振舞うときは、大抵不安がある時だ。彼女らしくない強気を言うのは、心の悩みを押し隠して、健気にも「王女」としての自分を取り繕って耐えているのだ。
「行きましょう」
 彼の呼びかけにも答えずに部屋を出るミーティアを見て、エイトは確信する。
 結婚を控えた彼女が妙に静かなのは、覚悟を決めたからではない。いや、寧ろ、
「怖いのではありませんか」
 自分を横切ろうとするミーティアの手を取り、部屋を出る直前、エイトは彼女の歩みを止めるように言った。
……
 小さな手を取った先の、彼女の瞳を見る。
……
 一瞬。ほんの一瞬ではあったが、彼女の瞳が揺らいだように見えた。気のせいか、「怖い」という言葉に反応して驚いたような。それは言い当てられた時に見せる驚きの表情というより、怯えの表情。
 エイトは彼女の不安を束の間に覗いたような……気がした。
「いいえ、」
 しかしそれも刹那の出来事。
 ミーティアは、次の瞬間には強い眼差しを降り注ぎ、確りと彼を見つめ返していた。
……怖くなど」
……
 大きな瞳を懸命に突きつけるミーティアに、彼はまた何も言えなくなっていた。
 
 
 
 
 
 船内では、二人は顔を合わせることもなかった。
 いつもなら、同性のゼシカくらいは話し相手として無理にでも招きよせることがあったのだが。今回は数人の側女と共に部屋を出ることすら一切なく、ただ用事を仰せつかる小間使いが出入りをするばかりだった。
 雨のように降り注ぐ歓声を浴びてトロデーンを発った船は、今やどことなく重苦しい雰囲気に舵をきっている。
「俺、初めて酔うかも……
 甲板に積み上げられたタルの上に腰掛け、ククールは疲れたような顔で言った。
「その気持ち、ちょっと理解るわ」
「こんなに空気が澱んでいちゃあ、仕方ないでがす」
 同じくゼシカとヤンガスが肩を竦めて見せた。
 船は順調に波を割って進んでいる。帆を翻して髪を泳がす潮風も、時折に飛沫を立てる波も、決して悪くはない。船の乗組員だって、威勢よく声をかけ合いながら活発に動いている。
……
 慌ただしい甲板の情景に、3人はまるで取り残されたように隅のタルで休憩を取っていた。
「あっ、兄貴」
 ヤンガスの視線の先に、エイトが映った。
 船の警備に当たっていたエイトが、甲板に上がってきたのだろう。仲間の視線に気付いた彼は、遠くより少し笑って手を振った。
「少し笑ったわよ」
「げすな」
「でも来ねぇ」
……そうね」
 ゼシカは笑顔で彼に手を振り返したが、ククールとの会話は冷静だった。一方のエイトは、仲間のもとに来る様子はなく、暫くすると再び船内へと戻ってしまった。
「行っちゃった」
 船室へと続く扉へと消えていった彼の背中を見送り、ヤンガスが溜息を吐く。
「兄貴にゃ堪えるんじゃないでがすかね」
 この言葉には誰の返事もなかった。
 もどかしい沈黙が波と共に流れ、それぞれの溜息は潮に攫われていく。
……
 ゼシカはやや強い波風に煽られた髪を手で撫で付けながら、やがて静かに口を開いた。
……ずっと頼られてきた相手に拒まれるのって、やっぱり辛いわよ」
 兄妹同然に仲の良かった二人。生まれる前から決められていた運命(さだめ)とはいえ、互いの間柄は大きく変わろうとしている。そして両者がそれを理解しているのならば、余計に辛い。
「他の男に嫁ぐとなれば、馬姫様は兄離れ、兄貴は兄貴で妹離れしなきゃならんでがす」
 結婚相手以上に仲の良い幼馴染が居たのでは、双方に何かとしこりが生じるだろう。普通の結婚とてそうなのだから、これが王家の結婚となれば互いが距離を置くのは当然の話。
「血じゃなく信頼で結ばれていた兄弟の関係は複雑でがすよ」
 ヤンガスが唸った。
 その点に関して男の自分は、兄貴であるエイトとは縁が切れることはない。ヤンガスはそんな安心も含めて言っていた。
「それだけかな」
 暫くしてククールが口を開く。
……
「ククール、」
 ゼシカとヤンガスが揃って彼を見る。
「それだけなのか、あの二人は」
 彼は遥か水平線の先に佇む雲を眺めながら、ポツリと言っていた。
 
 
 
 
 
 それから数日して、トロデーンの船はサヴェッラ大聖堂に到着した。
 新郎側のサザンビーク王室は、既に花嫁を迎える準備を滞りなく進めていたようで、トロデーン一行は港より盛大な歓迎をもって迎えられた。秩然と並ぶ音楽隊が高らかな喜びの調べを奏で、大陸中にその音が鳴り響く。
 巡礼者もまた両王家の結婚がここサヴェッラ大聖堂にて執り行われると聞いていたので、最近は俄かに観光客も交えて雑然としていた。エイト達が旅の頃に立ち寄った時の荘厳な雰囲気はこれに気圧されているようで、色とりどりの花が街中を埋め尽くし、煌びやかな装飾が随所に散りばめられ、結婚式の告知看板が絢爛に街道を飾っている。今や『結婚記念』とか『平和記念』などと銘打った店が所狭しと立ち並び、お祭り気分に聖堂一帯が飲まれていた。
「ここに神は居るのかね」
 露店に群がる人の喧騒を掻き分けながら、ククールは吐き捨てるように言っていた。
「なんなら“結婚記念饅頭”でも買って引き上げる?」
「兄貴の仕事が終わったら、一通り見て回りやしょう」
 花嫁を乗せた馬車は既にサザンビークの迎えに挨拶を済ませ、当日の婚儀を仕切るニノ大司教のもとへ進んでいた。一方、トロデーン一行を送り届けた船は、嫁ぎ先であるサザンビークの船に調度品を積み替える作業に移っている。
 ここまで来れば、彼女は輿入れ先のサザンビークの庇護に入る。エイトの任務は港に到着した時点で完了し、大臣より「ご苦労であった」と告げられると正式に任を終えた。夕方になって引継ぎを済ませると、エイトは自国に戻るまでの数日間を暇(いとま)する願いを聞き入れられ、その足で仲間の下へとやってきた。
「お疲れ様」
 嬉しそうに駆け寄ってくるエイトを見て、3人は労いの言葉とともに笑顔で彼を迎えた。
「すごい人ごみだね」
「そう。こんなの初めて見たわ」
 人の波を掻き分けながら仲間と合流すると、エイトは周囲を驚異の目で見回した。
 4人になった仲間達は、早めに宿を見つけて街をぶらつくことにした。どの店も人が押し寄せ、街道は喧騒に満たされ興に乗じている。普段であれば、大聖堂の夜は塵一つない清らかな空気がみっちりと星を覆っているのだが、今宵は違う。これが三大巡礼地の姿であろうかと、4人は呆気に取られながらも散策を楽しんだ。
「明日が結婚式か」
 前日の今日は、日が暮れきった今も街の灯が明るい。酒場より漏れる笑い声や音楽の調べを耳に、エイト達は程よく宿へと戻った。
 エイトは部屋に入った途端、同室のククールに声を掛けられた。
「お前、明日はどうすんの」
「どうって。休暇を頂いたから、どうしようかなって思ってる」
……
 柔らかく微笑むエイトを暫く見つめると、ククールは彼に向き合って椅子に座り口を開く。
「それでいいのか?」
 真面目な口調だった。
「どういうこと」
「判ってんだろ」
 言って欲しいのか、とククールは更につけ加えた。
「お前さ。鏡、見てないだろ」
……
「酷ェ顔してやがる」
 不機嫌とはいかないまでも、心の奥底に疼く葛藤に焦れているのは理解る。ククールの上目は、やや睨むように強くエイトを見据えていた。
……
 エイトとて気付いていたのだろう。心の奥深い所で蠕動する彼の蟠り(わだかまり)は、そう易く隠しきれるものではない。
 ククールがそう思って視線を合わせたエイトの顔からは、笑顔は消えていた。
「そうやって強がってんの、姫様もお前も似合わねぇよ」
……
 エイトらしくない。
 嘗て共に旅をした時の彼は、悩むより身体が先に動いていた。どうしようと頭で考える前に、足を踏み出していた。その危なっかしい位の勇気と純真に、ククールが躊躇って抑えることさえあったのだ。
「姫様の結婚に不満なら、イヤだって言ってみろよ」
 気付いてないのなら、気付かせてやる。ククールはそう思った。
「彼女の事は、本当に“姫様”だとしか思ってないのか」
 多岐な感情に乏しく、また恋愛経験のないエイトは、己の奥底に渦巻いているものの正体を知らないだけかもしれない。しかし彼の表情に懊悩(おうのう)が見えるのは明白な事実であって。ククールが察するに、それは「恋の煩悶」と呼ぶに十分なものだった。
……
 心の奥の澱みを言い当てられた、いや見透かされたような。至近距離で見つめられたエイトは、暫くは驚きの表情でククールを見ていたが、やがて視線を静かに伏せると、立ち上がって言った。
……星を見てくる」
……
 ククールはそうして部屋を出ていくエイトの背を横目に見送る。
 扉が閉まり彼の気配が消えると、一人残された彼は椅子に身を預け、天を仰いで言った。
「奪うくらいのオトコを見せろ」
 
 
 
 
 
 外に出たエイトは、気付けば厩舎を探していた。
 理由はない。自分でもよく分からない。
 ただ、彼女が女中頭に叱られて泣くところといえば、厩舎だったと思い出しただけの事。エイトは朧げにそう考えながら、夜道を歩いていた。
……
 結婚前夜に騒ぐ声も、教皇の館に隣した此処は遠かろう。これ位ならば、彼女も然程気にせずに眠れるだろうか。
 エイトは気の向くままに足を進めていると、ふと教皇の館に近い厩舎の扉が開いているのを見つける。今ここには、トロデーンよりミーティアを運んできた白馬や、サザンビークが明日の式に使うであろう漆黒の馬などが眠っている。エイトは、しんなりとした独特の空気を漂わせるその中へと足を踏み入れていた。
 飼い葉桶に腰掛けて、心を落ち着かせる。
……
 考えなくてはならない。自分の心がどうしてここまでさざめいているのか、何が引っかかっているのか。
 エイトは上を向いて暗闇を仰いだ。
……
 自分自身、ミーティアの事をどう思っているのか。彼女は己にとって、そんな存在なのか。
 暗闇の中、眠る馬を眺めて思いに耽るところだった。その時。
「誰……?」
 草の音がして、女の声が耳に届く。
 ハッとして闇を探ると、声の方向には思いがけない人影がこちらを向いていた。
「エイト、なの……?」
…………?」
 姿はともに見えない。ただ、こんな時間に此処へ来ると言えば、互いに考えられるは「その人」でしかなかった。
 気付いたエイトは慌てて言っていた。手が前に出ている。
「どうして此処に……?」
……
(しかもお一人ではないか)
 結婚式を明日に控える一国の姫君が、どうして一人で厩舎などに来れよう。きっと今頃の館は彼女を探して侍女達が大騒ぎしているに違いない。
 色んな心配が浮かぶのに、エイトの唇は多くを語れなかった。
…………
 エイトは姿の見えない彼女に向かって、ただ立ち尽くすばかり。
……
 そして暗闇の向こう側のミーティアもまた彼に何も言わなかった。
……
 距離を縮める訳でもなく、彼女はその場に立っている。思いがけず彼と出くわしたせいで戸惑いと驚きに足を留めていたが、次の瞬間には堅固に身を固めていた。
(姫……
 どうしてそんなに警戒なさるのか。
 エイトは緊張した彼女の空気に触れて、伸ばそうとした手を引く。
……
……
 重苦しい沈黙が辺りを流れた。
 厩舎の外、遥か遠い空には祭りに騒ぐ賑わいの声が響く。一方、近く二人の空間を満たす音は、静かな馬の寝息だけ。あとは互いの距離にある緊張した空気が密になって押し迫ってくる。
……
 それにしても、どうしてこんな所に彼女が。何故、一人ここに?
 嘗てのトロデーン城にあっては、ミーティアは世話係や見張り兵の目を掻い潜り、小さな身体を丸めて厩舎に忍び込んでは遊んでいたが、今はそんな事が出来る身分でも身体でもない。
 いや、それ以上に。
 彼女が厩舎に来る時と言えば、昔は泣くためであった。寂しさに堪えられないとき、悲しみに溢れるとき、ミーティアはエイトが好きなこの場所へとやってきた。彼が居なくとも、彼女は彼が来るのを、来て慰めてくれるのを隅で待っていた。それ故にエイトは、女中達が「姫様が居ない」と騒ぐのを見た時には必ず厩舎を最初に探した。
 ということは。
 彼女は泣いていたのか。
……姫、」
 エイトはそう思うと、ふいに爪先を動かしていた。
「エイト」
 しかしミーティアの強い口調がそれを制する。「聞いてください」
「私はトロデーンの王女です」
「姫」
「一人、サザンビークに嫁ぐ事に不安はないと言えば嘘になります。両国の古い盟約を果たし、以後はサザンビークの為に、また夫となるチャゴス様の為に生きることに迷いがないとは言えません」
 暗闇にミーティアは続ける。
「しかしトロデーンの王女として生まれた私には、この世に生を受けた時点で使命がありました。国を離れるといえども、生まれ持った使命を果たしこの道を歩むのは、トロデーンの為です。私はトロデーンを愛しています」
 トロデーンの為に生き、トロデーンの為に死のう。
 彼女の言葉からは、そんな痛烈な思いが伝わってきた。
「姫……
 なんという強い意志。儚い決意。
 暗闇に隠されて見えないが、一体彼女はどんな顔でこの言葉を言っているのだろう。
「だからエイト、あなたも……
 そして今の引き絞るような声は、何を押し殺しているのか。
「あなたもどうかトロデーンの為に生きてください」
 言葉が詰まる。
…………
 彼女が彼女であるという「我」を捨て、一国の王女としての使命を果たそうと懸命になっている。言い知れぬ不安に怯えながらも、己の生まれてきた意味や生まれ持った役目を遂げようと勇気を振り絞っている。
 彼女は今、全てをその小さな身に背負っているのだ。
 あまりの酷に、エイトは思わず口を開いていた。
「貴女に尽くす事は、トロデーンに尽くす事と変わりないのではありませんか」
 己の何かが彼女を止めようと必死になっている。
 どこか「死」の匂いのする彼女を留めようと、自身が駆り立てられている。
「僕は貴女の仰せであれば、どんな命令でも――」
「エイト。私はあなたに命令はしません」
「、」
 ミーティアの確りした言葉に、エイトは再び黙してしまった。
 突き放されたような、拒まれたような感覚。しかし彼女とて心の痛みはあろう。
「エイト、あなたには自由に生きて欲しい……
 苦しそうな声がそう言っている。
 ふいに草音がして、彼女の気配が遠ざかった。出て行くのか。
「姫、」
 暗闇に手を伸ばしてエイトはこれを引きとめようとした。しかし指先は漆黒を掻くだけで、彼女も彼女の声も留めることは出来ない。ギィ、という重い扉の軋む音と共に、やがて彼女の気配が消えた。
……
 ひとり、エイトは深閑の闇に取り残される。
 彼女の出て行った扉の隙間から月の幽光が漏れ、厩舎に一線を描く。エイトはただ項垂れたまま、儚い光を見つめて立ち尽くしていた。
 
 
 
 
 
 のどかな朝を迎えた。
 あれだけ騒いでいた街道も、明るい陽の出る頃には丁寧に掃き清められ、水を打ったように静かになった。心地よい風が街道に掛けられた両国の旗を翻す。
 やはり王家の婚儀というものは、格調高く荘厳なものなのかもしれない。竜騎兵が馬蹄を鳴らし、重装備に身を固めた歩兵隊が街道を闊歩していく。結婚式に招待された各国の重鎮達はサザンビークの物々しい軍隊に守られながら、次々と街の大通りを絢爛豪華に進んでいく。なかでも美しくに着飾った近衛兵に囲まれ、壮麗な輿に乗るニノ大司教が見えると、人々はいよいよという気持ちになって聖堂へと向かう足を速めた。
 昨日までとは一風変わった空気。
 サヴェッラ大聖堂は、今や人という人、物という物で溢れている。
……
 純白のウェディングドレスを纏ったミーティアは、窓際に手をかけてこの景色を眺めていた。
「ミーティア」
 傍らに腰掛けていたトロデ王が彼女に声を掛ける。
「想像以上に美しいのう」
 ヴェール越しに振り向いた彼女は、親と言う贔屓目に見ずとも誠に麗しかった。雪のように白い肌は、纏うドレスの白に劣らず輝き、淡い化粧をした顔は、ティアラを乗せて更に映えている。
 父王の旅の装いにすっかり慣れたミーティアは、彼が久しぶりに見せる正装に軽く微笑む。
 トロデ王は娘の微笑を見て、穏やかな顔で言った。
「決心はついたかの」
 優しい声だった。
……既にトロデーンを出発した頃より出来ております」
 ミーティアは再び外を眺めて言った。
……
 そう。とうに決意はしていたのだ。
 生まれる前より決まっていた王家の約束を、個人的な感情で違えることなど出来よう筈がない。トロデーンの血を継承する自分には、自分しか果たせぬ使命がある。
……
 ただ、エイトへの断ち切りがたい思いを胸に秘めたまま、聖堂で偽りの誓いを立てることが忍びなかった。神の御前で、自分は嘘の口付けを交わすことが出来るのだろうか。
(いつかは。そう、いつかは)
 心を乱すこの想いも、隠し続ければ収束してくれるかもしれない。いずれはエイトを忘れる時が来て、使命に死ぬ日が来るかもしれない。
「そうか」
 トロデ王は、背を向ける彼女に肯いた。
「では、昨日の“迷い”は見なかったことにせねばならん」
「、」
 ミーティアがこの言葉に驚いて父王を見た。
 彼は自分が昨晩、館を抜け出して厩舎に行っていたことを知っているのか。
「お父様、」
 ミーティアが振り返って言うと、トロデ王はのどかに微笑んで外を眺めた。
「迎えが来たようじゃの」
 彼がそう言った次には館の門が叩かれ、そして中の返事を待つまでもなく扉が開いた。
……っ!」
 姿を見てミーティアは驚いた。
……エイト!」
 花嫁を聖堂まで護衛する筈の聖堂騎士団は門の外に転がり、代わりにエイトが立っている。駆けてきたのか、今しがた悶着を起こしたのか、彼の息は少々に弾んでおり、頬もほんのりと上気していた。
「姫」
 旅人の服を着た彼は、そのまま館に入ってくる。
 ミーティアは驚き慌てて彼に言っていた。
「エイト、あなたは任務を終えた筈。どうしてこんな所に、」
「姫。僕は命令で此処に来たのではありません」
 凛々しい眼差しはミーティアの瞳を真っ直ぐに捉えている。確りとした口調と背筋はいつにない男らしい雰囲気を漂わせ、ミーティアはただただそれを眺めていた。
「ようやく気付きました」
 大きな瞳でエイトを見つめているミーティアに、彼は真向かって口を開いた。
「僕が許せなかったのは国の盟約でも婚約相手の王子でもありませんでした。ミーティア姫、貴女を失うことが何より我慢できなかったのです」
(貴女を誰にも譲りたくない。自分以外の他の男に渡したくない。失いたくない)
……エイト……
 エイトは昨晩、ミーティアが己の元を離れていったことで初めて気付いた。一人取り残された厩舎に佇み、ようやく知った。
 彼女の結婚を心配していたこの気持ちは、彼女に望まぬ道を歩ませ、辛い決意をさせたことに対する罪悪感でも背徳心でもなかった。チャゴス王子の人格や、古い盟約に縛られた故の不条理でもなかった。
 そこにあったのは、ただ自分が彼女を失いたくないという心。愛する彼女が己の手を離れ、他の男に奪われていくことが何より歯痒かったのだ。そんな他愛ない恋の感情を隠すために、自分自身を嘘の理由で塗り固めていた。
 怖れていたのは自分の方。素直に感情を曝け出し、彼女に想いを伝えることが出来なかった。こうして結婚を間近に迎え、追い詰められるまで逃げていたのだ。
 しかし、まだ間に合う。
「愛しています」
 あぁ、そうだ。
 もうどうしようもないくらい、貴女に恋焦がれている。
「ミーティア姫、」
 エイトは彼女の足元に跪き、白い手袋をした手を取って彼女を見つめた。
「貴女を奪いに参りました」
 
 
 
 
 
「エイト……
 真っ直ぐに注がれるひたむきな視線に、ミーティアは言葉を失していた。
 彼は「逃げよう」と言っている。今や多くの人が集まり、古い盟約を履行する筈の、誰もが待ち望んでいるだろう結婚式を。両王国の親交を反故にして。
 ミーティアは彼が現れた瞬間、「いけない」と思った。
 厩舎に逃げ込んで彼に出くわした時も強く自分に言い聞かせていた。彼に会って、彼の声を聞くたびに揺らぐ覚悟を叱咤するように、自分を抑えていた。
 しかし、駄目だとか、無理だとか思う心の奥底で、自分の根源ともなる感情が今、猛烈に震えている。熱い想いが胸に湧き上がって、咽喉元を詰まらせる。
 どうしても彼の手を振り切ることが出来ない。
 本当の自分が、泣き叫ぶように理性を取り繕うことを留めている。
……あなたを好きになったことが、罪だと思っていました」
 ミーティアは、エイトを拒む言葉の代わりに別の事を言っていた。
「でも、そうじゃないと理解りました」
 別ではない。これが真実の声だった。
 何より彼女の声は、大きな瞳と共に震えている。
「私の本当の罪は、自分に嘘をついていたことです。心を偽っていたことです」
 
 
 
 
 
 ごめんなさい、ミーティア。
 もう、私はあなたを隠さないから。
 だから勇気を出して、彼に言って。
 
 
 
 
 
 ミーティアは差し出されたエイトの手を強く握った。
「エイト。私はあなたが大好きです。愛しています」
 過酷な旅の頃さえ流さなかった涙。
 大きく震わせた碧色の瞳からそれが一滴(ひとしずく)、初めて頬を伝う。大粒の雫はそしてエイトの手に温かく染みた。
「あなたも、あなたの居るトロデーンも。全てを愛しています」
 枯れた声で、唇を震わせてミーティアが続ける。
「あなたがこうして来てくれたのは、本当に嬉しく思います。本当に」
「姫」
「出来ることなら、エイトと一緒に何処かに逃れたい……
……
 彼女の柳眉が痛切に歪む。
「でも、私はトロデーンを裏切ることは出来ません。あなたも、お父様も、トロデーンの皆も好きです。愛する誰にも迷惑をかけたくないのです」
 ミーティアは何度も何度も涙を零してそう言った。
「私は……私は、」
 成す術がない。どうして良いのか分からない。
 本当はすぐにでも彼の手を取って此処から逃げ出したいのに、己の背負ってきた使命がそれを強く拒んでいる。女として生まれた瞬間に授けられ、成長とともに身に染み込んでいった盟約という「枷」が、心の奥底を縛って逃さないでいる。
 だけど。
「エイト……
 自分はこんなにも目の前の男性を愛してしまった。彼の為に生まれてきたのだと思うくらいに。己の全てが彼に捧げるものだと思うくらいに。
(どうしたら良いの、)
 溢れる想いが堰を切ったように流れ出る。これまで耐えていたぶん、怒涛に押し寄せる感情は、ミーティアに自然と言葉を吐かせていた。
「助けて……
 身を縮めて、ミーティアは子どもの頃のように泣いていた。
「姫」
 エイトは思わず立ちあがり、肩を震わせて泣く彼女を強く抱きしめた。
 茨の呪いが解けたと思っていたのは間違いだった。ここに、まだ冷たい茨の鎖に縛られた姫君が居るではないか。自分は一番大切な人を救えないでいた。
 エイトは涙で頬を濡らす彼女を強く強く胸にかき抱いて、腕に押し込めて包む。
「泣かないで、ミーティア」
 それは身分や立場などなかった、幼い頃の彼の口調と全く同じだった。
 ただ、以前より逞しくなった腕がミーティアの細い身体を確りと抱き寄せている。
「僕が君を守るよ。ずっと傍に居る」
 だから、もう。
「大丈夫。何も怖くない」
……
 昔からこの言葉を聞いてきた。「怖い」という度に彼は自分の手を握り、「大丈夫」だと言ってくれた。厩舎で一人涙を流した時は、真っ先に自分を見つけて「泣かないで」と髪を撫でてくれた。いつも彼が居てくれた。
 変わらない彼の言葉が優しく耳に届くと、ミーティアは子どもの頃のように彼の胸元をギュッと握り締め、大粒の涙をぽろぽろと流した。
 エイトの服に彼女の涙がじんわりと染み込んでいく。胸の湿り気を反芻しながら、エイトは宥めるように彼女を撫でていた。
 
 
 
 
 
 泣かないで。
 もう何にも怯えなくていい。
 
 僕が君を守るから。
 僕が君を幸せにするから。
 
 
 
 
 
「何も言わなくてよいぞ」
 二人を見ていたトロデ王が、静かに口を開いた。
「ワシは端から気付いておった」
 端からと言っても、何時からかは判らない。しかしトロデ王は、気付いた時には二人の強い絆を感じていた。惹かれあう人と人との繋がりが、いずれは王家の血統や盟約を超えて固く結びつくのだと。それはどのような力を以てしても、どのような障壁に阻まれても、覆ることはないだろう。
 結ばれなかった嘗ての祖先がそうであったように、二人の愛が違えることはないのだ。
 トロデ王は穏やかな微笑を湛えて言った。
「なに、後の事は任せなさい。ワシにはお前達同様、息子と娘みたいな仲間がおる」
 ニヤリとトロデ王が口を歪めると、別室の扉から仲間が顔を覗かせた。
「みんな!」
 エイトが驚いて言った。
「なに、昨日お前が帰って来なかったから、何かやらかすのかなと思ったわけさ」
 ククールがウインクをしてみせる。
「だからね、エイトのやり易いように用意をしていたわけ」
「ここら一帯の聖堂騎士団は、アッシ等が片付けておきやした」
 厩舎から館までに配備されていた騎士団員は全てエイトが片付けてきたのだが、門番以外に侵入を拒む者は居なかった。おかしいとは思ったが、そうだったのか。
「みんな、」
 ついでを言えば、ゼシカが「花嫁が出て行った」と言ってと騒ぐ館内の全員を眠らせ、トロデ王に事情を話していたが故に彼がミーティアの外出を知っていた訳で、事はまだ荒立っていないらしい。
「オッサンの許可も下りたし、アッシらはチャゴス王子に仕置きをしてきやす」
「インチキで手に入れたアルゴンハートなんかで結婚させないわ!」
 王者の儀式で散々文句を言っていたヤンガスとゼシカがふん、と気合を入れて笑った。
 その隣のククールは、彼等の登場に驚き、いつの間にか泣き止んだミーティアに軽く微笑んで見せる。
「偽りの結婚式は神様も許してくれないさ」
「ククールさん」
 これを聞いたミーティアは、赤くさせた瞳で佳顔を見せた。
「さぁ、もう行きなさい」
 トロデ王はエイトとミーティアの背中をグイグイと押して館より押し出そうとする。
「そろそろ本当の迎えが来るじゃろう。その前に行くんじゃ」
「お父様」
 ミーティアは押されながら「でも、」と心配そうに言っていた。
「新婚旅行が終わったら、トロデーン城で待っておるぞ」
 そんな彼女を察してか、トロデ王はにんまりと笑って見せる。
 温かい眼差しと、柔らかい声。
 ミーティアは小さな父王の広さを見て、涙を溜めて返事をした。
……はい」
 
 
 
 
 
 既にサヴェッラ大聖堂の前は観衆に埋め尽くされ、これに続く街道は両王家の盛大な結婚式を一目見ようと集まる人で連なっていた。儀仗兵や聖堂騎士団員がそれを制する中、人は続々と聖堂へと流れて行く。
「?」
 高台よりこの様子を眺め見ていた馬上の近衛が、この流れに逆らうように走る二人の若者を捉えた。
……あれは?」
 一介の旅人が、花嫁の手を引いて人ごみを掻き分けていく。
 大通りを堂々と駆けていく二人。まさかこれが聖堂で結婚をするミーティア姫本人と花嫁泥棒だとは気付かない。
「こんな盛大な結婚式と同じ日に、一般人も式を挙げるなんてなぁ」
 二人の様子を俯瞰する近衛兵は、苦笑してそう言った。
「、しかし悪くない」
 彼が見る二人の笑顔は、まるで子どものように無邪気なもの。純白を纏った花嫁の方は、更に美しい微笑を湛えて天使と見紛うほどで。
「神よ。盛大な婚儀の陰でささやかに結ばれる二人に祝福を」
 一人の近衛兵士が見守るなか、やがて二人は街の中心を突き抜ける大通りを抜けて、郊外の花畑へと消えていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 愛しいひと。
 この空と、海と、大地と。
 
 呪われし「僕の」姫君。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 敬語版は、昔のエイトは敬語じゃなかったという設定で、
「口調が変わる」という私的ツボがあります。
ということで、一部タメ口で不敬な箇所もありますが、
どうぞお見逃しくださいませ(あせあせ)
 
 
 
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