HERO
 
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PRINCESS
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水をください。

 
 
 
 
 あなたが居て、私が居て。
 
 それだけで幸せなのに。
 
 あなたが笑って手を差し伸べてくるから、
 
 嬉しくなって、でも何だか泣きそうになって、
 
 でも「泣いてばかりだね」ってあなたは言うから、
 
 私は笑ってあなたの手をギュッと、ギュッと、握ったのです。
 
 
 
 
 
 
 
 永遠の愛を謳歌する鐘の音が碧空に響き渡り、その澄んだ青に数羽の白い鳩が平和を礼賛して舞う。頂に上ったばかりの太陽は、瑞々しい光彩を大地に降り注いで今結ばれた二つの生命を祝福した。
 エイトが自分の手を取って、荘厳な聖堂の重厚な扉を開けた。隙間から漏れる光に目を細めると、次に喝采して迎えるトロデーン中の国民が視界いっぱいに飛び込む。そこにはこれまでの冒険で出会った国外の友人達も集まっており、新しく夫婦となった二人に祝いの言葉と花弁のシャワーを浴びせた。
 左右の人に感謝の言葉を返しながら、ミーティアは一面の花畑を踏み分けて歩く。エイトは幼い頃の二人がそうだったように、常に自分の足元を気遣いながらエスコートしてくれた。振り返った彼の、そう豊かではない童顔の表情がやや緩んでいるように見えるのは、自分と同じく至福の瞬間を感じてくれているからだろうか。ミーティアはそう思いながら、彼の瞳に柔らかな微笑を返した。
 高らかに鳴る鐘、力強く舞う鳥の羽音。大地に満ちる歓声と笑顔。見事なまでの愛おしさに囲まれた自分の手を引くのは、それらより更に愛おしい男性。
「エイト」
 彼の名を呼ぶ。するとお互いに恥ずかしくなって、一瞬、目を伏せる。
 そして足元に咲く野花の美しさを見て、二人はまた目を上げて微笑み合う。何年と繰り返してきた馴染み深い風景に、今度は大きく笑い合う。
「エイト」
 温かい陽の光を浴びて萌える色とりどりの花は、ミーティアの喜びそのものを表しているようだった。
 
 
 
 
 
 そこで目が覚めた。
 開いてしまった瞳に映るのは、光に溢れた白の楽園ではなく真夜中の暗闇。ここ最近は厚い雲に覆われて、瞬く星すら見えない。太陽の熱を失って冷えた大地は、獣の姿をしていなければ耐え難い寒さを感じていたことだろう。
……
 闇に目覚めたミーティアは、何を見るわけでもなく上を向いた。
……
 獣が夢を見るかどうかは知らないが、嘗て人だった自分は今でも夢を見る。
 しかし夢とは酷く残忍だ。隠れた欲望を投影し、甘美なまでに自分を満たしてくれるのに、恍惚に似た幸せな酔いから醒めてみれば、現実という奈落の谷へと容赦なく突き落とす。一度に喜びと絶望を与えられた後は、ただ虚しさだけを残して去るのだ。
 こんな夢を見た時は、自分の深い闇に気付かされる。何を求め、何を恐れているのかという隠れた本心を知ってしまう。
「、」
 獣の姿で良かった、とミーティアは思った。今の自分が人型を成していたならば、表情を曇らせただけではない。きっと今の夢の美しさに泣き、流れる涙に声さえ漏らしていただろう。そうして嗚咽する声を聞いた彼は、心配して起きてしまう。
 幸い馬になった自分は、狼のように虚空に咆哮することもなく、犬のように土に伏してすすり泣くこともない。町の宿屋で疲れを癒して眠るエイトには気付かれずに済む。
……
 ミーティアは静かになった町の方向を見た。
 日中は石を削る彫刻家の鑿の音で賑うリブルアーチも、夜になれば止んで凪のような静寂に包まれる。
 仇敵ドルマゲスを倒しても呪いは解かれず、加えてゼシカが失踪。不安と緊張が続く中、彼女を追ってこの町に着いた。新たな問題を抱えて暫し眠る愛しい人は、ちゃんと休めているだろうか。どうか夜の眠る間だけは、安らかであって欲しい。
 そしてエイトの眠りを妨げるくらいなら、自分は呪われた姿のままで構わない。
……
 そう思うと、涙が流れていた。
 気付けば溢れていたのだ。瞳が潤んだことも、涙腺に雫が溜まっていたことにも気付かずに、皮膚を伝う水滴の温度を感じて知った。
 馬鹿な、と思った後には不思議と可笑しさがこみ上がる。獣になった今でも泣き虫は変わらないのだと、自嘲気味にミーティアは自分を笑った。
 再び眠りに落ちることも敵わず、ミーティアは闇に溶けて暫く黙して佇んでいると、暗闇から静かにこちらへ近付いてくる人の気配に気付いて耳をピクリとさせる。
「ミーティア」
 落ち着いた声がそっと届いて顔を上げると、目の前にはエイトが居た。
……水を」
 見れば器の形を成した彼の両手には水が溜めてあり、光のない今宵にも彼の掌の中で煌々と輝き波打つそれは、直ぐに「ふしぎな泉」のそれだと理解った。
……
 少し息を弾ませた彼は、今しがた泉へと飛んで汲んできたのだろう。肩に下がる水筒が濡れている。両手に掬った水をなるべく溢さないように運んできた彼は、ミーティアの瞳の前で屈むとその手を差し出して促してくる。
 飲んで、ということか。
 ミーティアは闇に隠れた彼の表情を上目見ながら、コクリ、コクリとその手の水を飲んだ。
 
 
 
 
 
「夢を見たんだ」
 エイトは元の姿に戻ったミーティアに水筒を差し出しながら、彼女と少し距離を隔てた石に座って口を開いた。
……
 ミーティアは受け取った水筒を膝上に抱え、黙したまま彼を見つめる。
 小さな頃より二人は同じ夢を見ることがあったが、まさか今しがた見た夢もまた同じなのか。
「ちょっと言いにくいんだけど……その、凄く良い夢で、」
 エイトははにかみながら言葉を濁して内容を隠している。自分とて今の夢を本人を目の前にして具に説明することは容易でない。ミーティアはその様子から、彼の見た夢が自分のそれと一緒のものなのだと理解った。
 旅に出てから彼のトレードマークとなった赤いバンダナは今はしていない。柔らかい髪を露にした彼は、もどかしく頭を掻いて言葉を続けた。
「もしかしたら、君も僕と同じ夢を見たんじゃないかと思って」
 きっと彼も理解っているのだろう。
 あの夢は酷く現実味があった。叶うか叶わないかではない。彼と繋いだ手の温もりも、瞳に飛び込む色彩も、耳に響く鐘の音も何もかも。まるで確かに存在する異世界へ行っただけなのだと錯覚する程のリアルがあったのだ。あのような夢は一人で見るものではない。
 そして同じくエイトも察しているだろう。
 夢から覚めた時に自分が味わった絶望。生々しい感覚の跡に残る切なさは、夢だと忘れて次の朝を迎えられるものではない。彼もまたあのような夢を見ることの虚しさを知っているのだ。
「エイト」
 ミーティアはようやく口を開いて言った。
「お互い馬鹿な夢を見たものですね」
 苦笑した吐いた言葉は溜息のよう。
 エイトは困ったように笑って呟いたミーティアに「やっぱり」といった表情で返すと、次に彼女と同じような微笑を浮かべた。
 ミーティアは膝元の水筒を揺らして言葉を続ける。
「この呪いが解けたからといって、あのような夢が叶う筈もなくて」
 ドルマゲスを倒した後も、二人の呪いは解けなかった。そして道化師の持っていた杖を持ってゼシカが行方をくらました今、呪いの源があの杖に隠されているのかもしれない、とトロデ王は呟いていた。
 しかしこの事件を契機に、ミーティアは心の奥で呪いが解けたからと言って以前の幸せな生活が取り戻せるとは思わなくなっていた。
 冒険を続ける毎に増す彼への慕情は、既に忍び難いものとなっている。加えてサザンビークで婚約者の存在を再確認した今は、トロデーン城の姫としての地位に戻ることが一抹の恐怖を呼び起こしているのだ。エイト以外の男の下へ嫁ぐならば、彼と結ばれなくとも呪われた姿のままで傍に居たい。自分自身に科せられた役割も何もかもを捨ててエイトについていきたい。そんな背徳的な考えが他愛ない思考を頻繁に支配する。
 そして幼稚な欲望は、更にあのような悪夢を見せる。血を吐くほどに渇望しても得ることのできない夢を残酷にも見せる。そう、あれは悪夢だ。
「こんな夢を見ましたと、馬鹿でしょう? と、言えたら良いのに」
 ミーティアは可笑しそうに言った。
 どんな夢を見たからと言って叶うわけがない。所詮自分は王族へ嫁ぐ身、姿を変えた今は猶予が与えられているとはいえ、いつかは彼から離れなくてはならない。互いが別の道を歩むことを認めていかなくてはならないのだ。
「夢を見ていた私も、いつか笑い話になって」
 笑い飛ばせる程の素敵な思い出になって。
「そうして、」
 ミーティアの声がか細く震えた。
……貴方とお別れできるでしょうか」
 貴方という恋と。
 ミーティアは自分で言って心で強く否定した。できる筈がないと。
 涙で視界が揺れ始め、ミーティアはそれが頬を伝わぬよう真上を向いて堪えた。熱く震える胸の鼓動を抑えようと、大きく息を吐いて落ち着かせる。彼女の白い五本の指は、確りとエイトが差し出した水筒を抱えていた。
 優しい人。
 彼は口のきけない呪われた自分を気遣って泉の水を汲みに走り、そしてこのどうしようもない想いを聞いてくれたのだ。どんな時も自分を守ってくれる彼の優しさが胸に染みる。
「ミーティア」
 滲むような声を聞いたエイトは、今も進み出てミーティアの傍に寄る。彼女が女性となってからは決して触れようとしなかったエイトが、そっと近付いて丁寧に小さな手を取った。
「、」
 その温もりと感触は、夢に見たそのもの。
「大丈夫だよ」
 きっと大丈夫。
 エイトは穏やかな微笑を見せてゆっくりと言った。
「必ず呪いを解いて見せるから。古い盟約も、君が嫌なら何とかする」
 自分が心に思えば無理だと思う希望も、何故かエイトが言えば叶うような気がする。彼の言う通りになるような気になってくる。彼の笑顔は不安を安心に変え、動揺は平静を取り戻す。そして何より、彼の「大丈夫」はこれまで嘘をついた例(ためし)がない。
「そして必ず君を幸せにしてみせる」
 だから泣かないで。
 小さな頃から泣いてばかりのミーティア。彼女を慰めることに関してはエイトも慣れたものだが、以前のように髪を撫でたり背中を擦ったりしてやるわけにもいかない。今は彼女の小さな手に手を置いてそっと温めるくらいしか出来ないが、それ以上の分は言葉に代えてやる。何より「大丈夫」だという言葉は自分への願掛けのようなものだ。彼女への言葉は、自分の誓いでもある。
「きっと全部うまくいくよ」
 それは根拠のないこと、唯の理想でしかないのかもしれない。しかし虚であることを否定し、肯定へと導くのは強さである。
「エイト」
 ミーティアはエイトの強さに打ちのめされて涙が溢れた。遂に温かい雫がミーティアの柔らかい頬を伝っていく。
 エイトは声を震わせたミーティアが、それでも佳顔を緩ませ微笑んでいるのを見ると、「相変わらず泣き虫さんだね」と言いながらも、彼らしくはにかんで笑みを返していた。それからミーティアは泉の水が与えてくれた魔法の時間いっぱい、彼の手をずっと握り続けていたのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 「幸せにしてあげる」のではなく、「幸せにしてみせる」。
私の中のエイトたんは、サラリとこう↑言える人なのです(悦)。
そしてちゃーんとお姫様に幸せを感じて貰える
最強の天然勇者なのです。ビバ捏造!!!
 
 
 
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