HERO
 
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PRINCESS
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 どれだけ彼は大地を駆け、大空を仰いだだろう。どれほどの敵を薙ぎ倒し、深まる謎に真向かって強い意志を貫いたことだろう。雨の日も風の日も、或は唸るほど灼熱の炎天下を、また雷鳴が轟く闇の中とて走り続けた彼の背中を、ずっと見守り続けてきたミーティア姫にはそれが痛いほどよく理解る。だからこそ、今まさに彼が見つめる先、茨の呪いに包まれたトロデーン城を前に立ち尽くす彼の背中を見るのは忍びなかった。
 嘗ては栄華を極めた北の大国トロデーン。人も家畜も、その豊かさは大陸を越えて名高く、常春の治世と謳われた国も今は見る影もない。
「これは、……凄いな」
 思わず空いた口から言ったククールが、慌ててその口を手で押さえる。斜め後ろに控えていた彼は視線だけをエイトに注いで表情を窺おうとしたが、握り締めた拳の強さを量ってそれ以上は止めた。
「エイト」
 城門の茨を焼き払い、ここまでは気丈に歩いていたゼシカの声にも不安が募る。普段の彼ならば、彼女には「大丈夫」だと言って微笑んでみせるものだが、今はそれもない。
 周囲を確かめるようにして後からゆっくりと入ってきたトロデ王が、険しい表情で我城を一瞥すると、その場に立ち尽くす臣下の背を見て静かに言った。
「振り返らぬと決めたものが、運命とは酷なものじゃの」
 進まねばならぬと叱咤して城を出たのは己で、以来彼には歩みを止めぬよう命令してきた。それが仇敵を追うためとはいえ旅立ちの地へ舞い戻ることになるとは、何もかもがドルマゲスに嘲笑われている気がしてならない。
「エイトよ」
 トロデ王は黙ったままの彼の心中を察して労うように続ける。
「今は儂らを見る方が辛いか」
……
 茨に覆われた闇の城を見るより、そのまま振り向き、未だ呪いの解けぬ主君等を見ることの方が堪えるだろうか。背中を見せたまま城を見て立ち尽くすエイトに、トロデ王はそっと瞳を伏せた。
 
 
 
 
オーロラに流星
 
 
 
 
「国って何だろう」
 サザンビーク城の一連の情勢を知り、また王家の試練に関わったエイトは、チャゴス王子に鞭打たれたミーティア姫を酷く心配し、聖なる泉で彼女の本音をそっと聞いた。自国の城があの状態では分からぬものの、一応は古き盟約を果たす為の婚約者に不安を隠せないと彼女が打ち明ければ、エイトは皮肉を交えて言った。
「それは王なのか人なのか、今回の件で考えるようになった」
「? それは?」
 今は呪われた獣の姿を一時的に解いたミーティア姫が、彼の言葉に首を傾げながら聞く。
「王子が国を継げば国は揺らぐだろう。でも、サザンビークが滅びたりはしない」
 領土を脅かす他国が近隣に居るわけでもなければ、凶悪なモンスターに狙われた土地というわけでもない。チャゴス王子自身の性格は確かに大国の王の後継として物足りなさを拭えぬものの、聞けば輔弼の臣下等は優れた者が多いというのだから、余程の事がない限りは倒れぬだろう。
「でも、トロデーンは」
 国力としては同等であった己の国には、既にその「余程の事」が起きた。トロデーン領内のトラペッタでは一夜にして茨に滅んだ国と噂され、それから旅を続けて情報を集めるに、自国の風評は行く先々で絶望的なものへと変わっていった。商人の出入りの激しいサザンビークにも、荒廃したトロデーン城のあり様を伝える風は近く届くに違いない。
「復興の兆しも噂されず、人々に忘れられれば国はどうなるのか」
「エイト」
 己の魔力の全てを使ってあの茨を焼き払えば、城は蘇るだろうか。嘗てドルマゲスがそうしたように、生贄ともなる何か代償を払えば、あの忌わしき呪いは消えるのか。彼を倒せば全て解決すると思っていたのに、実のところ彼を破っても呪いは消えておらず、今もミーティア姫は泉の魔力を借りて一時的に姿を取り戻すことしか出来ていない。
「たとえ僕等が戻り、国が元の姿に戻っても、トロデーンが復興するか」
 エイトは美しい水面に己の姿を映して小さく言った。
「僕はそれが怖い」
 怖いんだ、と。
 普段はあまり感情を表に出さぬ彼が、ほんの僅かな一瞬、奥底の感情を吐露する。エイトは自らが口にしたその言葉をどう受け止めたのだろう、美しい水面を見つめることが出来ないのは、それが映し出す己の心を直視できないからか。今の顔を見るに見かねた彼は、泉の淵に片膝をついて屈んだ。
 不思議な魔力を宿す泉。此処の水を雲に乗せ、トロデーン城を覆う暗雲に代わって雨のようにこの水を降らせることが出来たなら。己の無力に打ちひしがれるエイトの背中は、ミーティア姫のすぐ傍にあるというのに、こんなにも遠い。
「ごめん。なんだか弱気になって――
「エイト」
 君の前で悲観的になるなんて、と失笑を零したエイトに、ミーティア姫は堪らず近付いた。不意に名を呼んで声を奮わせたミーティア姫は、泉に跪く彼の傍に歩み寄ると、そのまま項垂れる彼の頭を引き寄せて胸内に抱き寄せる。
「ミ、ミーティア」
「どうかそのまま」
 驚いて上擦った声を遮るように、ミーティア姫は静かに言う。何もかもが柔らかく温かい彼女に包まれたエイトは、驚きに瞳を丸くさせながら、その耳に確りとした彼女の声を聞いた。
「そんなに何もかも背負わないで」
 いつも見守ってきた彼の背中を労わるように擦る。今はバンダナを取った彼の黒髪を優しく撫でる。ミーティア姫は腕の中のエイトが緊張して強張っているのが分かったが、己とて今の近さに胸の鼓動を早くさせているのだから同じだと思った。
 ミーティア姫は身体を固くさせながらも大人しく身を任せているエイトをゆっくりと撫でながら、森のせせらぎ如くたおやかな声色で言う。
「私は国と故郷(ふるさと)は違うと思います」
 今のエイトの不安を和らげるに、彼の言う国を自分なりに語ることはその一助となるのではないかと、ミーティア姫は相槌を待たずに続ける。
「国はなくなっても、私達の故郷がなくなるわけではないわ」
 この旅でミーティア姫は彼女なりの見つめ方を持ち始めていた。同じ冒険を歩みながら彼と観点が異なるのは、彼女自身の感性に拠るものだろう。常に前を見続けるエイトの背中を見つめ続けてきた彼女には、常に自分達の原点となる場所、トロデーンの国としてではない価値に気付き始めている。
「国がなくなった時は、そこからまた始めるだけです」
「ミーティア」
 そこには思い出を培った場所があり、仲間が居る。土地に息づいた全ての存在が今の自分達の力となっているように、目的を終えて帰ればお互いどんな姿をしていても受け入れるものだ。
「だから、故郷だけは忘れないで」
「故郷……
 ミーティア姫の声が、彼女の身体の中から聞こえてくるのが分かる。エイトは心地よい声を耳に聞きながら、己を引き寄せる腕に身を任せて呟いた。
「じゃあ、故郷(こきょう)を遠く感じる時は」
 彼女の胸は温かい。だから切ない。
 エイトは瞳を閉じて遥か遠いトロデーン城の風景を思い出すが、瞼の裏に映る景色は酷く美しく、うららかな花園も人々の笑顔も、今は呪わしい茨に貫かれ冷たくなっているのかと思うと、胸が切られて苦しいのだ。
「私達の故郷は、この胸にちゃんとあります」
 ミーティア姫はエイトを労わるように答える。跪いたままの彼の全てを抱き締めるように身を屈め、その胸に彼の頭を抱えながら、ぎゅっと力を強めて「そして」と口を開いた。
「この胸はいつでも、あなたの故郷よ」
「、」
 優しい弾力のある、温かいミーティア姫の胸。その中に包み込まれたエイトは彼女の声に胸を震わせる。今は唯一となった臣下に、深い慈愛を以て勇気付ける彼女は母か女神か。
「ミーティア」
 エイトは泉に向けていた身体を彼女に向けると、両の膝を地につけて彼女を抱き締めた。
「、エイト」
「ごめん」
 今だけ許して欲しい。
 胸元に佇んでいたエイトの腕がミーティア姫の細身の身体を強く抱き締め、彼女の心臓に頭を埋める。その力強さに一瞬は驚きを見せたミーティア姫は、しかし次には柔らかい微笑を湛えて再び彼を包み込んだ。
 許しを乞うた彼が、何に対してその言葉を発したのか、ミーティア姫はそれが何であれ構わなかった。彼が今こうして自分に触れていることも、無力を訴え弱みを晒すことも、彼女にとっては許すまでもなく嬉しい悦びであるからだ。
「もう少し、このまま」
 鳩尾に顔を埋めた彼の声がくぐもって聞こえる。きっと今の表情は見せられないのだろう。ミーティア姫は胸元の彼を同じく強く抱き寄せながら、穏やかな声で「はい」と答えた。
 願わくは泉の力よ、この時を長く長く。ミーティア姫は森に囲まれた泉より見える丸い夜空を仰ぎながら、獣の姿に戻るその瞬間まで愛しい人の体温を守り続けていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 ♪ 好きなら好きと 言えないココロに
♪ 人はいつも傷つくの
 
 
どうしても言えない時は、
それ以上の言葉と動作で伝えるしかないよね。
 
 
 
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