HERO
 
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PRINCESS
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 未だ舞い立った後塵の収まらぬ兵練場。夕の演習を終えたエイトが武具の手入れをしていると、頃合いを見計らってやって来たミーティアがひょっこりと顔を出す。
「ごきげんよう、エイト」
「ミーティア」
「ご苦労さま」
 濛濛と砂地を躍る埃にドレスの裾が揺らされるのも構わず、後片付けに励む彼の傍へと駆け寄ってくるのは、主君のトロデ王が最も愛する麗しの姫君。仲間の兵士を見送ったエイトは、それに代わるように現れたミーティアに驚きながら、無邪気な微笑みを乗せて訪ねてくる彼女に苦笑して答えた。
「こんな所に来ちゃダメだよ」
「カゴの中くらい、何処へ行っても良いじゃない」
 幼さを隠しつつある最近はこんな皮肉も言うようになった。春風さえ嫉妬するほど可憐な花顔に悪戯な笑みを浮かべたミーティアは、彼女の登場に戸惑うエイトに愛らしい目配せをしながら言う。
「皆には秘密」
 幼馴染の特権か、ミーティアは周囲の目を盗んではこうしてエイトの元へやって来るのが毎度の事であったが、それは彼が近衛兵となってからも変わらない。
「僕が叱られるならまだしも、君が」
「エイトが言わなければ大丈夫。だから誰にも言わないで」
 日毎美しさを増すミーティアを直視できなくなりつつある彼は、彼女の細い人指し指が桃色の唇に宛がわれるのをチラと見ると、また武具に視線を戻して作業を続ける。昔から変わらぬ仕草の筈が、大人になりつつある今は何処か色気があって躊躇われるのだ。
 そんなエイトの密かなる動揺は露知らず、無垢なミーティアは身体ごと傾げて興味津々に尋ねる。
「今日はどうだったかしら」
「散々搾られた」
「まぁ」
 トロデーン近衛隊の新米に対する洗礼が手厳しいことは彼女も知っている。酷い土埃に汚れたエイトの身形(なり)からは訓練の激しさや彼の苦労がありありと見てとれるが、左程表情の豊かでないエイトの口元に満足そうな微笑が覗くのを見たミーティアは、こちらもニッコリと笑って返した。
「すっかり近衛兵士さんだわ」
「全然」
「いいえ、本当」
 まだまだ未熟だと謙遜のうちに頭を掻く彼を見つめ、ミーティアは心から言った。彼の成長ぶりは近頃になって急激に伸びた背丈だけでなく、その精悍な顔貌でも実感できる。生来の優しさだけでなく、凛々しさと時に身震いすら感じる鋭さを備え始めたエイトの眼差しは言い得ようもなく、目覚しい彼の変化にミーティアはこれまでにない胸の高揚を覚えていた。
「隊長には叱られてばかりだし」
「エイトに期待しているんだわ」
「もう鬼の形相だよ」
 仲間達と剣を交えていた時の闘志は、今は剣を鞘に収めたように内に隠されてしまったが、はにかみながら呟く穏やかなエイトもまた彼女は気に入っている。出会った頃より変わらぬ童顔な彼の微笑を見つめると、ミーティアは少しほっとしたように笑った。
「私もエイトに守って貰えるよう成長しなくちゃ」
 日々に強くなっていくエイトを見守るだけでは足りない。彼の成長に焦りを感じぬよう、また彼に守られる者として相応しくあるよう、彼女には彼女なりの努力が要る。彼が近衛として道を歩むならば、己は彼の仕える王族としての素養を供えなくてはならない。それはエイトを近衛兵士にと導いた彼女の責任であり、使命でもあるからだ。
「一緒に頑張りましょうね」
「ミーティア」
 そうして胸元で両手をギュッと握り合わせ力強く意気込むミーティアを見たエイトは、やや可笑しく思いながら感謝の辞を述べていた。
「ありがとう」
 なんだか面映いとエイトが汚れた頬に手をやった時、彼の着た制服の袖口に汚れと解れを見たミーティアは、次に手の甲や手首が赤く滲んでいるのを見つける。
「まぁ、エイト。怪我をしているわ」
「あっ」
 見られてしまったと思った瞬間、主君の花顔が不安気に曇るのを見てはエイトも拒めない。
「見せてください」
「大した傷じゃないよ」
「いいえ。ばい菌が入ったら大変」
 普段はおっとりとしたミーティアもこうなると頑固だ。彼女は直ぐさま付近の道具棚に置かれてあった救急箱を取り出すと、彼の前で露店のように並べては大仰な処置に取り掛かる。
「ほら、ここ」
「うん、まぁ」
「ここもです」
「えっと」
 エイトとしては、己の未熟さを如実に晒した傷を見つけられるのは些か面目ない。ミーティアの大きな瞳がクルクルと動いては身体中の傷や汚れを探し、沢山の視線を注がれることとなった彼はやや気恥ずかしい思いをしながら身体を硬くさせていた。
「布を当てないと」
「本当に大丈夫だって、」
 それにしても一生懸命に手当てをしてくれるものだ。今や彼女の遊び相手ではなく、一介の兵士となった存在の自分に、これ程まで労わりや慈しみを降り注いでくれる主君とはどんなものだろう。エイトはたどたどしくも丁寧に包帯を腕に巻き続けるミーティアの横顔をチラと盗み見ながら、その優しさに小さく笑った。
 するとエイトの柔らかな心に反応したのか、ミーティアが顔を上げて彼に視線を注ぐと、口元に薄く乗った笑みとは別の気付きを見せる。
「エイト、唇が」
「あぁ、ちょっと転んだから」
 下唇に朱の線が走っていると思ったのは切り傷だった。それは先程の演習中、不覚にも足払いで顔面を強かに打ち創ったものであることは痛みと共に記憶に新しい。エイトはミーティアの穢れなき瞳がまじまじと己の唇を見つめるのを照れ臭く感じながら、その視線を交わすように頭を掻いた。
「舐めておけば治るよ」
「そんな」
 これこそ大した傷ではない。エイトがそう思って彼女の心配そうな眼差しを宥めようと言えば、ミーティアの大きな瞳は更にエイトの口元へと近付き、おそるおそる開かれた両唇の隙間からはそっと舌が差し出される。
「そんな所、舐められないわ……
 純粋な彼女にとって、そこには動物的な行為に対する幾許の抵抗しかないのだろうが、心なしか卑猥な瞬間を見たように感じたエイトの方は気が気でない。
「えっと……これは、その」
 小さな唇から赤い舌が覗くのを見たエイトは、息も詰まるような愛らしい麗顔を間近にしてドキリと心臓を跳ね上げると、冷静を繕うかのように言った。
「僕がという意味で」
 彼女の舌に代わるようエイトのそれがペロリと出て、下唇を一嘗めする。
「あっ」
 彼の舌が傷口をゆっくりと撫でていく様を見て、ミーティアは我に返ったように慌てて言った。
「そ、そうですよね」
 この時ようやく自分がエイトとの距離を詰めていることに気付き、彼女は動揺を隠せぬまま身を引く。髪が触れ合う程の近さを経験したことのない二人は、互いに身体を緊張させてこの場を取り繕っていた。
「口の傷は治りが早いっていうし」
「そ、そうなの」
 既に瞳は合わせられない。今の瞬間をかき消すような気の良い話題も浮かばない。やや俯きながら少ない言葉を交わす二人は、陽の傾きに合わせたように頬を朱に染め合う。
 
 ただエイトの唇から覗いた舌だけがやけに妖艶だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
舐めときゃ治る!
 
−ミーティア姫の場合−
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 天然のお姫様は時々爆発する(笑)。
 
 
 
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