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コドモの時間
 
「子供なんて大嫌いよ!」
 嘗てサランの教会のサンデースクール(教会学校)を訪問した時、アリーナはそう言っていた。
「我儘で、屁理屈ばっかり言って! 自分の事しか考えてなくて、いつも大人に迷惑をかけてばかり!」
 サントハイムの姫君も、彼らにしてみれば数歳年長の遊び相手。公務として彼らと笑顔で接していたアリーナは、子どもじみた悪戯とわんぱくに翻弄されて癇癪をおこしてしまう。
……私を見てるようで、嫌よ」
「姫様……
 少し悲しいような、寂しいような。怒りの消えた彼女の顔には翳りが見えた。
 
 
 
 しかし今となってはそれも過去のこと。
 アリーナはすっかり子どもの相手をできる大人に成長し、サランの教会へ行くのを週末の楽しみにさえするようになった。
「ねんねの時間だよー」
 修道女に混じって、アリーナは乳幼児の昼寝の手伝いをする。
 ロールマットを手際よく並べる姿は手馴れた保育士のよう。彼らと一緒にマットに横臥し、添い寝をして睡眠を促す。
「はい、ねんね」
 微睡むような柔らかい声で彼らの胸をポンポンと優しく叩く。初夏の慈雨のように長閑な眼差しを降り注ぎ、彼らを夢に誘(いざな)う。
……寝た」
 しばらくするとアリーナは嬉しそうに起き上がり、並ぶマットの間からそっと抜け出てくる。
「お見事です」
 クリフトはそうして戻ってくる彼女の姿を驚いたように眺め見ていた。
「えへへー。上手くなったでしょ」
「はい」
 今はお転婆な少女の笑みを見せる彼女も、先程までは優しい母親のような微笑を湛えていた。それは渇いた大地を潤すような聖母の横顔。遠目にそれを見ていたクリフトは、自然と彼女に引き込まれていた。
「紅茶を淹れています。どうぞこちらへ」
「うんっ」
 そっと幼児部屋を抜け出し、二人で紅茶を飲む。
「お疲れ様でした」
 クリフトはこれを「台風の目に入った」と言う。声や物音が建物いっぱいに溢れていたが、今は一転して静かな空間になって眠っている。いつも子どもに翻弄されている自分にとっては至福の時間だと苦笑した。
「これ、おいしいね」
「トルネコさんが新しく始めたお店のものですよ」
「へぇー」
 穏やかな午後の休憩に、時間を忘れて和んでしまいそう。
「今度エンドールに行こうよ」
 何気ない会話が愛おしい。クリフトはそう思ってアリーナを見た。
 カップに集中して瞼を伏せる彼女の長い睫毛や、紅茶で濡れる小さな唇。髪を束ねて露になる細い首筋と白い胸元。
……クリフト?」
 視線に気付いたアリーナが、あどけない声で彼を呼ぶ。
……
 クリフトは穏やかな笑みを見せるばかりで何も言わない。かわりに彼は、カップを持つアリーナの小さな手にそっと触れ、その大きな瞳をずっと見つめていた。
「ど、どうしたの?」
 彼の気持ちに気付いて戸惑うアリーナ。困ったようでいて、どこかしら待っているようでもある美しい苦笑。
 彼女に触れたい。
 クリフトがそう思ってアリーナの頬に手を添えた時。
……何してんの?」
 バタン、と扉を開ける音が二人の心臓を貫いた。
「!」
 昼寝の途中で起きてきたのか、クリフトの腰丈にも満たない男の子が部屋を覗いた。
「あっ、ちゃんと寝なさい」
 慌ててアリーナが立ち上がり、彼を幼児部屋へと戻そうとする。
 手を繋ごうとするアリーナを交わして、彼はクリフトの前に走った。
「クリフトって、アリーナの何なわけ?」
「なっ、何とは……
(呼び捨て!)
 クリフトは閉口した。
(私のことは許すとして、姫様を呼び捨てで呼ぼうとは! 許すまじ!)
 至福の時間に邪魔が入ったことと、折角のムードを頓挫させられた事に動揺したクリフトは、思わず大人気ない感情に包まれた。
 黒い霧で包んで息の根を止めるとまではいかないまでも、無理矢理に彼を布団に押し込めようか。生意気な口を封じる為にマホトーンを唱えてやろうか。一瞬、邪な考えが脳裏を過ったが、クリフトは一息ついて落ち着く。
(こほん。ここはオトナになって)
「さぁ、何だと思いますか?」
 クリフトはニッコリと笑ってみせた。
 しかしそれは、棘を含んだ揶揄うような微笑。挑発的な言葉と仕草に腹を立てた彼は、当然、乗ってくる。
「! お前が恋人だったら許さない」
 クリフトの足元で、睨みをきかせた男の子が拳を固めて構えてみせた。突如としてクリフトの前に小さな武闘家が現れたようだ。アリーナはその幼いファイティングポーズを見て、思わず笑みを溢している。
「さて、私に敵いますかな?」
(上等ですよ)
 クリフトは少し屈んで、満面の笑みで意地悪く言った。子ども相手とはいえ、そこには譲れない男の性が覗いている。嘲笑を含んだクリフトの笑みを見て、彼はやはり激怒した。
「このー!」
 可愛らしい拳がクリフトの胸を叩くかと思ったその時、
「クリフト!」
 アリーナは小さな武闘家を抱いて、その拳を止めた。
「もう、何張り合ってるのよ! 子供じゃないんだから」
 困りきった顔を見せてアリーナがクリフトを詰る。
「す、すいません……
 気付いてクリフトは頭を掻いた。
……
 見れば少年も、アリーナの腕の中ですっかり大人しくなっている。
「ね。部屋に戻ろ」
 アリーナはそのまま彼を抱きかかえて幼児部屋へと連れて行った。
(いかん、いかん)
 残されたクリフトは、年甲斐もなく彼に嫉妬していたことを恥じる。アリーナと結ばれた今でも、自分はやはり彼女の事になると見境がなくなるようだ。そう、子どもにすら。
 ときには「僕はアリーナをお嫁さんにする!」という無邪気な言葉にさえ「ダメです」とつけ加えてしまったり、親しげに彼女に縋る子どもを剥がしてみたり。
(子供だ……
 クリフトが己の大人気ない言動を反省していると、少年を寝かしつけたアリーナが戻ってきた。
「姫様」
「さ、て。あとは“大きいコドモ”のお昼寝だけね」
 アリーナは一息ついてクリフトを見ると、苦笑してロールマットを敷き始める。
「?」
 子供用の小さなそれを敷き詰めて、アリーナはクリフトを寝かせた。
「ひ、姫様」
「もう、クリフトったら。あんな小さな子に対抗心燃やしちゃって、かわいい」
……すいません」
 アリーナはクスクスと笑うと、優しい瞳でクリフトの髪を撫でた。
「いい子にしてよね、もう」
 困ったように微笑むと、アリーナは静かな声で言う。それは先程、子どもに添い寝をして見せたものと何ら変わりない姿。
「はい。クリフトもねんね、ねんね」
 胸をポンポンと軽く叩き、眠りに誘う。
 まるで子供扱いだ。クリフトは顔を朱に染めて思った。
……
 今日はすっかり彼女の主導権。
「一緒にねんねしよ」
 耳元で優しく囁いて、アリーナはクリフトの額にキスする。
 そうして二人は心地よい夢へと落ちていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 たしかテンペの少年か誰かに対抗心を燃やしていたクリフト。
村の英雄・アリーナ姫に憧れる少年の気持ちが、
いつ恋に変わるやもしれぬ! とライバル心メラメラ。
かわえぇなぁ、クリフト。
 
そこから思い起こしたネタです。
 
 
 
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