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いつも貴方が傍に居て、それが当然のようだったけど。
今はそれがどんなに私を支えていたのか気付いた。
 
この気持ち。貴方に会って、何て言おう?
 
 
 
 
 
「おい、腕を見せろ。やられてるじゃないか」
 今の戦闘で傷ついた腕を掴まれ、アリーナの進む足が一瞬止まる。
「突っ走りすぎだぜ。まぁそう慌てなさんな」
 後衛にいた仲間の一人が回復魔法を唱えようとする。
「要らないわ」
 掴まれた腕を振りほどいて、アリーナはやや苛立ちながら言った。
 
 
 
     「姫様。痛いでしょう」
     「こんな傷、たいしたことないもん」
     「いいえ。痕になったら大変です」
      クリフトはいつもそう言って、心配そうにそっと手を取る。
     「ほら、姫様」
      もとどおりに癒えた傷よりも、安心したその顔の方が印象深い。
     「……ありがと」
      いつもは彼が治してくれた。
      ほんのり温かい掌が、包み込むように触れて癒してくれた。
 
 
 
「クリフト」
 
何と言う
 
 
 即席のパーティー(仲間)。
 病に倒れたクリフトの介抱をブライに任せ、アリーナは万能薬を求めて単身でパデギアの洞窟へ行くと言った。その決意に可否など言わせないという彼女の気迫に押され、ブライは宿を同じくしていた別の一行に護衛役として同行を願い出る。
 そうして彼らとパデギアの洞窟へと踏み入れたが、状況は芳しくない。
……
 複雑な氷の洞窟に身体も思考も悴んでくる。
 とにかく奥へ、とアリーナは己の拳で道を切り開いていった。
「あんた、かわいい顔して強ェんだな。こりゃ驚いた」
 目を見張って男が言ったが、馴れ合いをしている暇はない。
 アリーナはロクに返事もせず、目の前に立ちふさがる壁も魔物も、全てを打ち砕いて突き進んだ。少女ひとりでは危険すぎると、彼らも仕方なしにその背を追う。
「クリフト」
 先程からアリーナは、無意識にその名前を呼んでいた。
 彼を救うのは私でありたい。そう思って脇目も振らずにここまで来た。「私ならできる」という自信と自負があった。彼を救えるのは私だけだと。
 そうしてどれくらいの時間が経っただろう。かれこれ十数時間はこの洞窟の氷壁に挑んでいる気がする。
 それでも目的の薬草は見つからなかった。
「ない……
 どこを探しても一面の氷。薬草どころか草も苔の姿もない。気の遠くなるような地下迷宮に、吐く息だけが空しく白む。
「ない……
 見えない時間が残酷に時を刻んでいく。
……ないよ……
 凍える濃密な空気に声が響いて、アリーナは唇を噛んだ。
 もどかしい思いが錯綜する。
「こりゃ、時間をかけても無駄だぜ、きっと」
「そもそも氷室に種がとってあるなんて信じられないなぁ」
……
 先程までは、白い呼気をもらす度に気弱なセリフを吐く彼らを強く励ましていたが、アリーナは次第に口数が減っていった。
 それは彼女の中で仲間を激励するよりも別の感情が生まれはじめていたからに違いない。
 
 
 ここには無いのだ。何も。
 ここだけじゃない。
 今の自分には全てが無いのだ。
 
 
(クリフトもブライも居ない私には、パデギアの根も見つからないんだ)
 アリーナは己の愚や能力の無さも痛感していたが、なによりいつもの、これまでの冒険とは勝手が違うことに気付き始めていた。
「ソレッタ王に騙されたのさ。引き上げようぜ」
 連れの一人が身を縮めて溜息を吐いた。
……っておおおおぉ!!!」
「魔物だ!」
 アリーナが声に振り向く。震える手を叱咤しながら、彼女は魔物の群れにおどり出た。
「どいて!」
 戦闘すら。
 己の本領を発揮できないのは寒さだけのせいではないだろう。
「ッ、」
 自分の素性を隠している故に今の仲間である彼らに深入りできないわけではない。旅慣れている彼らの能力が足りないわけでもない。
 ただ。
 彼らはブライではない。クリフトではない。
「っうぅ……!」
(ほら、また)
 アリーナは自分とは思えない立ち回りの結果として、その身に傷を刻まれる。いつもの彼女ならこんな安い負傷はしない。ようやく一行が魔物を退治し終えた頃には、無数の浅い傷がアリーナの白い肌を朱に滲ませていた。
……
 疲れた呼吸を一息ついて、アリーナは再び進み出す。
「アリーナ。いくら何でも回復しないと」
 彼女の痛々しい姿を見て堪りかねた一人が、歩み出てアリーナの手を取った。
「わっ」
 不意に触れられたアリーナは、驚いて咄嗟に手をつき返していた。
……アリーナ?」
「あっ、ごめん……
 触れられることに対する抵抗感と拒絶心に、何より自分自身が驚く。
「傷を塞ぐだけだ」
 気付いた彼は慌てて弁解した。
 彼の戸惑いを見たアリーナは、気遣うように「ありがとう」と言って、少しだけ笑った。
「いいの、本当。大丈夫」
「でも傷が」
「触らないで」
 心配そうに言いかけた彼の言葉を制する。
 アリーナは真っ直ぐな瞳で彼をとらえていた。それは彼に対する嫌悪に満ちた苦渋の顔ではない。強い意志を伝える辛辣な眼差しに、清濁を越えた感情を示す誠の表情。
「あなたはクリフトじゃないもの」
 確りとした口調だった。
「クリフトじゃなきゃ、だめなの」
 
 
 
 
 
 氷窟に求めた万能薬・パデギアの根はなかった。
 
 気付けばアリーナは宿の扉の前で膝を抱えて座っていた。
 狂乱に似た譫言(うわごと)を呟いて氷の迷宮を漂っていたアリーナを心配して、仲間達は半ば強引にブライの元へと彼女を送り届けた。引きずられるようにミントスへと戻れば、勇者の一行であるという知らない顔ぶれがブライと一緒になって自分を迎える。
 廊下で事情を聞いたような気がしたが、あまり覚えていない。ただ、おぼろげに記憶があるのは、彼らは自分の求めていたパデギアの根を持っていて、彼らならクリフトを救える、と言っていたこと。
 彼らはパデギアの根を煎じた薬湯を持って、この隣の扉を開けて入っていった。
……
 本当はクリフトが目を覚ます瞬間を見たかった。誰よりも先に、自分が。
(今だって部屋に入って、クリフトに会いたい)
 しかしアリーナには出来なかった。
 彼女は部屋を出てきた少年に「あいつの顔見てやれよ」と言われても、腰を上げて部屋に入り、彼の前に姿を見せることができない。
 それはきっと、パデギアの根を持ってきたのは勇者一行であって、自分ではなかったから。自分はクリフトを救えなかったのだから。
「姫様」
 再び扉が開いて、ブライが現れる。
「入ってくだされ。アホタレがようやく目を覚ましましたわい」
……
「姫様」
 頑なに俯いて身を縮めているアリーナを見て、ブライがふう、と溜息をつく。
「一目でもクリフトにお姿を見せてやってくだされ。あやつめ、臥せっておった時もそうじゃったが、起きても『姫様、姫様』と口うるさくて敵いませぬ」
……
 アリーナの顔が少しだけ上がった。
 これまでに見たことのない複雑な表情でブライを見ている。頼りなく開いた唇の僅かな空間から、何か弱々しい声が漏れたかと思ったが、ブライには聞き取れなかった。
 困った顔でブライがアリーナを見ていると、扉の奥より静かな声が発せられた。
……姫様?」
 この会話とも言えないやりとりが聞こえたのか、クリフトがアリーナの存在を感じ取った。
「クリフト」
 しんみりとした声にピクリとアリーナが反応し、自然と彼女の身が扉へと向く。
 彼女はクリフトの姿を見たくて堪らないのだ。
……行ってやってくだされ」
 ブライはそう一言優しく言うと、廊下を歩いて階下へと姿を消した。
 もう、ここには壁を隔てた二人しか居ない。
「姫様? いらっしゃるのですか?」
 もう一度、扉からクリフトの声が聞こえると、アリーナは無意識に扉の前に姿を現していた。
「姫様、」
 クリフトは寝床から半身を起こして彼女を待っていた。
 まだ蒼白の顔をしているが、死の気配は去ったようだ。口元にはうっすらとではあるが柔らかい笑みがある。彼らしい穏やかな表情と、長閑な眼差し。
 病み上がりの彼は、寝癖を落ち着かせて「このような姿勢で失礼します」とやや苦笑して言った。そのゆったりとした低い声も久々に聞く。
 アリーナはゆっくりと彼のベッドへと近付いた。
……事情はブライ様より伺いました。不甲斐ない私の為に、姫様が薬草を求めてソレッタから氷の洞窟までお出かけになったと……。私などの為に、姫様にこのような御苦労と御足労をかけてしまい、本当に申し訳ありません」
 クリフトは暫く使わなかった口を懸命に動かして言った。
「病に臥せったうえに姫様に手間を煩わせてしまい、お恥ずかしい限りです」
……
 アリーナは何も言えずに彼の言葉を聞いている。
……
 彼女は目覚めた彼をただただ見つめながら、湧き上がる感情に押しつぶされそうだった。
「しかし、本当に……。私の命がこうして繋がれていることに、感謝の言葉が見つかりません」
「クリフト……
 
 
 自分に力がなかったことが悔しいし、
 彼を救ったのは自分ではない他者だったことも口惜しい。
 
 それでも今は関係ない。
 
 目の前に居るあなたが、目覚めたのだから。
 こうして私に話しかけて、生きているのだから。
 
 
「クリフト!」
 彼女は駆け寄ってベッド脇に寄り添うように膝をつき、クリフトの手を掴んで泣きじゃくった。
「姫様」
 
 
 あなたに会って、何て言おう? そう、ずっと考えてた。
 “ごめんなさい”
 “ありがとう”
 “死んじゃやだ”
 “生きてて良かった”
 言いたい事が沢山あって、ありすぎて。
 何から言っていいのかわからない。どこから言っていいのか解らない。
 たくさん思いは湧き出るのに、自分の気持ちを表せそうな言葉なんて、見つからなくて。
 
 言葉が出ない。
 ただ涙だけが溢れてくる。
 
 
「クリフト、クリフト、クリフトぉ!」
 アリーナはただ彼の名前を呼んでいた。
……ご心配をおかけしました」
 不安だった心が弾けたのだろう。手にすがり付いて涙を流すアリーナに、宥めるようにクリフトは言った。
「姫様にこのような思いをさせてしまって、申し訳ありません」
「ううん、ううん」
 聞いてアリーナは大きく首を振った。
(謝らないで。ごめんなさいは私のほう)
 クリフトは、必死に頭(かぶり)を振るアリーナを見つめ、その髪を撫で、とめどなく涙を流す彼女の心の震えに寄り添っていた。
「ブライ様に叱られましたよ。姫様が私の為にどんなにご苦労をなさったかと」
「ううん、ううん!」
(全然。全然、役に立たなかったの)
 アリーナは顔を挙げて、涙に濡れた赤い目を見せた。
 嗚咽が言葉を阻んでいるのか、思いつくままの感情を彼に伝えたいのに、何も出てこない。彼女はただ切なく言葉を詰まらせてクリフトを見つめていた。
 クリフトはそんなアリーナの姿を改めて眺め見る。
 外套は所々に綻びが見え、深々と血が滲み、洞窟を這い回った面影が感じられて痛々しい。彼女の美しい白肌には無数に傷が走り、血痕を刻まれ、土埃を被って汚れていた。自慢の拳は凍傷で悲痛な朱に染まり、指は悴んで霜やけを覗かせている。
……姫様……
 流れた涙の筋が、彼女の本当の肌の色を示し出すのを見て、クリフトは切られるような胸の痛みを走らせる。
 アリーナの頬を伝う雫を静かに親指で拭うと、クリフトほどではないにしろ、血の気を失った白い肌が現れた。
「こんな……こんな無茶をして……こんなお姿になって、」
 クリフトは悲痛に眉を顰めて、そっとアリーナの小さな手を取る。
 小さな小さな手。触れればとても柔らかく、固めた拳にどれだけの殺傷力があるかなど、到底想像できないほど。それは美しい少女の手。
「クリフト、あのね」
「とても辛い思いをしたでしょうに」
 傷ついた手を抱くように両手に包み込むと、クリフトはゆっくりと瞳を閉じて「ベホマ」と呟いた。クリフトの手が仄かな光を放ち、癒しの術を発する。
「あのね、クリフト」
「あぁ良かった。痕が残ったら大変でした」
……うん……
 クリフトは今しがた癒えたアリーナの手を見ると、ようやく安堵の一息をつく。
 彼の触れた手は温かくて、少し震えていた。
……
 何かを言いかけようとしていたアリーナは、クリフトの笑顔を見て口を閉ざしてしまう。そしてこの瞬間、アリーナは彼の行為から洞窟での出来事を思い出していた。
 
 
 別の男に触れられたとき、咄嗟にその手をつき離して拒んでいた。
 そして、気付いてからは改めて断っていた。
 自分に触れられるのはクリフトだけだと。
 彼以外は触れさせないと。
 
 
……クリフトじゃなきゃダメなの」
 繋ぎ合ったままの手を強く握り、アリーナは言った。
 突然発せられた言葉の意味を図りかねたクリフトは、不思議そうに彼女の言葉を聞いていたが、アリーナは更に言葉を紡ぐ。
「クリフトじゃなきゃ、イヤなの!」
 己の傷を癒し、支えになってくれる存在は。己が縋れる唯一の存在は。
 あなたしか居ない。あなた以外の誰でもない。
 アリーナはそうして溢れる思いのままに彼の胸へ飛び込んでいた。昂ぶる感情のままに、正直な心でクリフトの懐へ身を投じていた。
「ひ、ひ姫様」
 この突然の事の成り行きに驚いたクリフトは、蒼白の頬を俄かに桃色に染めたが、胸元に震える小さな身体を抱きしめると、やがて優しい笑みでアリーナを包んでいた。
……少し、痩せられましたね」
 
 
 
 
 
 いつも貴方が傍に居て、それが当然のようだったけど。
 今はそれがどんなに私を支えていたのか気付いた。
 
 この気持ち。貴方に会って、何て言おう?
 
 
何と言う
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 「好き」という言葉は言えないけど、
それ以外の言葉でそれ以上を言えることもある。
 
因みに奥田民生の歌詞は、
「君に会って何と言う」 → 「嬉しいですと言う」
そのまんまで良いんです。そのまんまが良いんです。
 
 
 
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