トリコ仕掛けのタリオ
美人の酌は悪くない。
「さぁさ、もう一献」
そう酒を勧められれば、杯とて酔いに係わらず傾いてしまうもの。
しなやかに注がれる銀の美酒も成程旨く、普段は節制を心掛けている彼等と雖も宵宴に身を任せることとなる。
「いやはや、もうこれ以上は」
「あら、もうおしまい? 酒豪の剣士さんはまだイケるでしょ?」
泥酔とはいかないまでも、既に夢心地となったトルネコとブライは妹のミネアの勧めで離席し、これをお開きの機と見たライアンも席を立った。彼が長年探し求めていた勇者もベッドに沈んで時間が経つ。
「残りの酒は勇者殿と飲み明かす時にでも」
「お上手な逃げ方」
今宵は最後の仲間である彼の歓迎の宴だった。これでようやくミネアが予言した「導かれし者」の8人が揃ったことになる。
「まぁいいわ。後は余韻を愉しませて頂くから」
「良い夜を」
寡黙な剣士も夜はやや饒舌に、凄艶の魔法使いが手をヒラヒラとさせる姿に微笑を湛えながら去る。
しかし一縷の隙も与えぬ後背は見事というほかなく、彼が深酒を辞したのは相手のマーニャより酒が弱いからという訳ではないようだ。
「手強いのは腕だけじゃなさそうね」
したたかさはお互い様というところ。
マーニャは悩ましげに括れた細腰を椅子の背に預けると、右手の杯を弄ぶように回して酒を揺らした。
そうして彼女がアルコールを交ぜた甘い吐息を深紅の唇より漏らした時、隣のテーブルで始終を見ていたアリーナの視線とぶつかる。
「お姫様はお飲みにならないのかしら?」
それとも安酒は飲まない?
酒瓶の口を指先に持ち、底をくゆらすように回す仕草も色気がある。
同性のアリーナから見ても、マーニャは息を飲むほど美しい。同じ美人姉妹の妹、ミネアもまた目を瞠るばかりに美しいのだが、姉のマーニャはそう、艶かしいのだ。
「飲んだことないわ」
「そう」
アリーナは何処か彼女の色気に中てられたように首を振る。
「一杯だけ、酔い冷ましにお付き合いくださらないかしら?」
結ばれた口端がゆっくりと微笑を溢して引きあがる。
決して命令しているわけではないのに、彼女の「お願い」に随わざるを得ない雰囲気にさせるのは、人を虜にする術を心得ているからだろうか。アリーナは、ブライやトルネコがこれまでにない酒量を煽った理由にも分かるような気がした。
そう思いながら彼女がマーニャに誘われるままにグラスを差し出したその時、双方の手を遮るように黒い影が覆い被った。
「我がサントハイムでは、女性は外での飲酒を嗜みません」
「クリフト」
「姫様も好奇心でお飲みになられては困ります」
今しがたの光景を見ていた神官がアリーナとマーニャの間に割り込む。
二人の女性の手に触れぬよう、しかし言は確りと制する所が彼らしい。クリフトはアリーナに振り返ると、次にはもう一つ含蓄のある視線で彼女を促した。
「うん、もう寝る?」
「えぇ。そのような時間かと」
言葉はなくとも理解るらしい。
このまま彼はアリーナを寝室の扉前まで送るつもりなのだろう。主従の関係はありながら、その自律に於いては目付け役ともなるクリフトは、しかし身分以上の固い信頼関係によってアリーナと結ばれていることは一目で判る。
(ふぅん)
成程、そういう関係なのね。
敏いマーニャは喉奥で笑みを作ると、アリーナに向けていた酒瓶をそのまま麗顔のクリフトへと差し出した。
「じゃあ、こちらの神官様は如何かしら?」
マーニャは椅子の背より身を擡げると、曲線なだらかな痩身を蠱惑的にしならせてクリフトの眼前に立つ。
勿論、その溜息の出るばかり妖艶な姿に驚いたのはクリフトだけではない。 長身の彼にしなだれかかるように近付いたマーニャに、アリーナは思わず瞳を大きくさせていた。
少女の口が思わず何かを言葉にしようと身を乗り出した時、踊り子の華顔に 迫られたクリフトの方は淡々と答える。
「病み上がりの下戸相手では貴女も楽しくないでしょう」
穏やかな否定はしかし有無を言わせぬ気配があり、
「返す口も悪くないのね」
端整な微笑を湛えられたマーニャも悪い気はしない。
「さぁもうお開きにしましょう」
そうしてクリフトが続けた時、彼に一抹の好奇心を湧き上がらせた彼女は、根っからの悪戯心より次の言葉を囁いていた。
「じゃあ私を部屋まで送ってくださるかしら」
「マーニャさん」
「酔ったの」
小首を傾げて上目見る。
細い手首の装飾具が耳を擽るような金属音を立てたかと思うと、紅蓮の炎を 紡ぎ出す長い指がクリフトの前髪を掠めるように撫でていった。
「いいでしょ? そのくらい」
大した事じゃないわ。
否応なく是と言わせるのは彼女にとって容易い。マーニャはまるで挑発するようにクリフトの頬に指を伝わせながら、艶っぽい視線で見つめた。
誘惑でもされているか、やや熱帯びた眼差しを注がれた方のクリフトは、暫し 無言の後に静かに唇を開く。
「それで貴女が満足なさるなら」
「勿論」
互いを探り合う、取引のような今の会話はどこか卑猥で如何(いかが)わしい。
アリーナは瞳を合わせる二人にヤキモキするのだが、その空間にはとても割り入れそうにもなく、ただ事の成り行きを見守るしかない。
マーニャはそんな小さな姫君を知ってか知らずか、クリフトの首に両腕を巻きつけて更に強請った。
「肩を貸してくださる?」
「……構いませんよ」
彼女に対して下心のない神官は、当然断る理由もない。
これに「私が構う」とは言えないアリーナは、自室へと向かうマーニャを抱いて送るクリフトの背中をただただ見つめるしかなかった。
まさかクリフトがなびくなんて考えられないし、
「盗られる」なんてドロボウみたいに仲間を見たくない。
でも、なんで私、こんなにドキドキしているの?
「ベッドまで送って頂戴」
艶かしい微笑を浮かべて言うマーニャは、クリフトの雄性を試すようだった。
「やましくないなら、平気でしょ?」
色欲とは無縁といった面持ちを見せる冷静な神官の佳顔を狼狽の色に染めたいのか、マーニャは魅惑的な姿態に色香の漂う仕草を交ぜて、クリフトを自室へと招き込む。
「それは貴女にも言えることですよ」
「そうね」
溜息を交えながら悪態にも似た言を返すクリフトに、彼女の悪戯心は更に擽られるらしい。
「どちらも送り狼になり得るってことかしら」
「それはどういう――」
意味深な台詞に彼が反応したその時、縺れた足が絡んで体勢が崩れた。
「マー、」
クリフトが不覚を詫びようと彼女を見た瞬間、支えていた筈の体は隣になく、
「…………」
組み敷いていた。
正確に言えば、躓いたクリフトが咄嗟に手をついたのは弾力のあるベッド脇で、その両腕の内にはシーツに身を投げ出したマーニャが納まっていたのである。
「す、」
すみませんと謝って離れれば、これも偶然刹那の事故として終わっただろう。
しかしマーニャの大きな瞳に捕らえられたクリフトは、ベッドに押し付けた両手と両膝を立て直すことは出来なかった。
マーニャは静かにクリフトの細い顎のラインを指で辿ると、頬に手を当てて呟くように言った。
「いい男、」
それはまるで品定め。
彼女の形よい両唇の間をすり抜ける言葉はクリフトの耳を擽り、男の本能を呼び起こす。
クリフトに覆い被さられたマーニャは、これに抗うこともなく身を預けており、 寧ろこれからの事を期待するかのような眼差しで彼を見つめ、瑞々しい太腿を 見せ付けるように組み直した。
「貴方はこのまま本当に送り狼になるのかしら?」
長い脚がクリフトの両脚に滑り込み、内側をなぞる様にして上がっていく。そうして鋭く性感を覚醒させる部分を探る様は、明らかにベッドの上での行為を誘っていた。
「次は私の姫様をお送りしなくてはいけません」
熱篭もった眼差しを受け止めながら、クリフトは平静を崩さずに言う。
その科白は、彼女を送ることが仕事だとでも言うような口ぶりで、同時に自分達の関係を不用意に探る彼女に対しての警戒も込めた口調だった。
そうしてあくまでも情動の変化を見せない彼に対し、マーニャは徐に膝を彼の中心に擦り付けると、クスリと笑って囁く。
「カラダは反応してるのに?」
探るように触れられれば、敏感なそこは彼女にも伝わる硬度を持ち始めていた。
クリフトが他の女性(ひと)に、なんて。
そんな事ある筈ないじゃない。
「アリーナ」
酔いつぶれた二人を送ったミネアがフロアに戻って来る。
見れば一人テーブルに頬杖をついたアリーナが、小難しそうに眉を顰めて唸っていた。
「姉さんとクリフトさんは?」
「……」
居る筈の二人が見当たらないと残った彼女に問うてみれば、これを聞いたアリーナの方は明らかに不機嫌な表情を見せてミネアを詰る。
「クリフトも色っぽい人が好きなのかも」
だから帰ってこない。
マーニャを寝室まで送ると言った彼は、手持ち無沙汰になったアリーナがカクテルに手を出す隙を与える程戻るのに長引いていた。
高いアルコール度数の割に爽やかな果実の甘さを残すそれは、アリーナの喉を滑るように通り抜け、初めて感じる心地よい浮遊感が更なる飲酒を促している。
一国の王女ともあろう人物が、このような所で不貞酒とは。ミネアは珍しい絵でも見るかのように「まぁ」と短く声を発すると、今しがたの出来事を察知して弱い溜息を吐いた。
「姉さんの悪い癖ね」
酒と賭博、そして男に目がない姉。
サントハイムのアリーナ一行が勇者の仲間に加わった時も、側仕えのクリフトを目の保養だと色めき立って眺めていたものだが、それだけで済むとは思っていなかったというのが身内の本音である。
「癖って、」
机に項垂れるアリーナは余程不安なのだろう。彼女はグラスをコトコトとむやみに遊ばせ、心ここにあらずといった具合に返事をしていた。
そんな彼女を見かねてか、己の姉に対する非礼を詫びる気持ちも込めてミネアは口を開いた。
「アリーナ」
組み敷かれたマーニャは、浮かした膝をクリフトの両脚の間で徐に動かして 熱を探る。
「もう疼いているわ」
彼女の言う通り、確かに彼の中心は雌の誘惑に反応していた。
悩ましげに曲線を描いて伸びる魅惑の脚はクリフトの内腿を滑り、曲げた膝頭で促すようにそこを探れば、形を辿れるくらいの硬度を持ち始めている様がよく判る。
「貴方だって分かるでしょ?」
熱っぽい視線を注いで訊ねるマーニャは息詰まるほど美しい。
偶然ながらも彼女をベッドに押し倒すかたちとなったクリフトは、その口端に零れる妖艶な微笑をただただ見下ろしていたのだが、
「マーニャさん」
沈黙を破って動いたのは端整に噤まれていた唇だけではなかった。
「あ、」
不意にマーニャの弱々しい声が漏れる。
刹那に身動きしたクリフトに彼女が反応したのは、既にその膝を割られた後だった。
「っ」
言葉にならぬ吐息のような声がベッドに弾む。
気付けばマーニャは組んでいた筈の脚を割られ、その両膝は羞恥のうちに閉じぬよう、クリフトの膝によって押さえつけられていた。
驚きに瞳を開いたマーニャが上を見れば、身を縛られるほど端麗な眼差しが注がれている。薄闇に長い睫毛がひどく煌いたように見えたのは、彼女の一縷の冷静か。
一瞬の狼狽を晒した彼女に対し、クリフトは薄く開いた唇から低い声で淡々と 言った。
「勃つ勃たないは私の意思ではありませんが、」
シーツに沈んだのがマーニャでなければ、彼の美しいテノールに心臓を打ち抜かれていただろう。
「するしないは私の意志で決めることです」
闇に紛れた男女はしかし微動だにしない。
開くことを強要した脚はそのままに、クリフトは彼女のアメジスト色に光を溜める瞳を見つめたまま続けた。
「私を揶揄うのも程々に」
探るような視線を返すクリフトは、成程口だけではないらしい。
彼に覆い被さられたマーニャは、彼の台詞に弾かれたように熱篭った眼差しを解くと、今後は屈託のない笑顔を見せて言った。
「貴方を? まさか!」
「姉さんが揶揄ってるのはクリフトさんじゃないわ」
彼を狙っている訳ではないという妹の言葉を俄かには信じられないアリーナは、一人テーブルでカクテルを飲み続けていた。
ミネア曰く、酒と賭博、男に目がない姉のマーニャは、そして何より悪戯が好きなのだ。好奇心に溢れる彼女は悪巧みをするにアンテナも鋭く、今は仲間になったばかりのサントハイム衆のうち、王女と神官の間柄に悪魔の尻尾を見せているだけのこと。
長年苦楽を共にしてきた妹はそう言って肩を竦めて見せたのだが、アリーナの方は気が気でない。
そうして悶々とするうちに何杯かの酒を煽った彼女が、酔うままめくるめく思考のうちに落ちていこうとしたその時。
「はしたないですよ、姫様」
「クリフト」
「お待たせしてしまいました」
軽く苦笑を浮かべたクリフトが向かいの椅子に腰掛けた。
「私も姫様も、まるであの方の玩具です」
テーブル越しに見る彼は普段と変わりなく、それがアリーナにとっては逆に気がかりになる。
「ねぇクリフト。私にも肩を貸してくれない?」
何故だか貴方に触れたい。
アリーナは遊ばせていたグラスをテーブルに置くと、席を立ってそのままクリフトの側へと近付いた。主君を迎えようと身体を向けたクリフトの、脚の間に滑り込んで距離を縮める仕草は、これまでの彼女にはない大胆な行動で、間近に想い人の花顔を見たクリフトは面食らったように言葉を返す。
「初めてのお酒に酔われましたか」
咎めるつもりがないのは、たおやかな微笑で判る。
アリーナはそんな彼を見つめると、持て余していた手をクリフトの襟元に当てて呟いた。
「なんとなく、独り占めしたくて」
蓋し彼女はまだクリフトの髪や肌に触れられない。彼の肩を借りることすら、 普段ならば言えぬ恥じらいがある。
自ら求めることに関しては不得手な彼女。しかしそれ故に擽られるのだとクリフトは思う。
「嫉妬して頂けるとは光栄です」
クリフトは己の胸元に寄り添いながら首筋に指先を漂わせるアリーナの手を そっと取ると、己の肩に回させた。
「クリフト」
そのまま己を支えて運ぶのかと思ったアリーナは、その後フワリと身体が浮かんだ事に驚きを隠せない。
「悪酔いはお身体に障りますよ」
「え、わっ、クリフト」
微笑を湛えた彼の端整な面持ちが思わぬ角度から見えたアリーナは、そこで漸く自分が膝抱きにされていることに気付いた。
いつになく開放的な彼の行動に瞳を大きくさせていると、その瞳孔を確かめるように覗いてきたクリフトが視界いっぱいに映し出される。
「私も美女に酔ってしまいまして。酔い冷ましに貴女を戴き度、」
これを聞いたアリーナがアルコールとは別の熱に頬を上気させると、彼女の 含羞を見たクリフトは息を飲むばかりの綺麗な微笑を宵に溶かした。
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