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 処女の生血を吸って永遠を生きるというモンスターの噂。この村の住民の話では、銀の満月の浮かぶ夜に忽然と現れる悪鬼は、美女を攫ってその血を吸い、自らと同じ永遠の刻を与えて我城の端女とするという。
「何か目新しい情報は聞けた?」
「それが何も」
 名もなき村の宿屋の一室、冴えた光を放つ月を眺めるアリーナに、今しがた戻ってきたクリフトが言った。
 厚手の外套を脱いで暖炉前の椅子に掛け、前髪に乗った雪を払う。やや濡れて束になった毛先が瞼を擽るので、クリフトは長い指を櫛代わりにそれを掻き分けた。
「肝心な事を聞けていない気がします」
 小さく呟かれた声に溜息が混じっているのは、錯雑する情報にヴァンパイアと呼ばれる者の正体を掴みあぐねているからか。
「それを言ったらクリフトが帰ってしまうって分かってるからよ」
「まったく、恐ろしいのはどちらでしょう」
 眉間に手を当てて椅子に腰掛けたクリフトを見て、アリーナは労うように微笑する。
 今まさに命を狙われている年若い村娘たちは、情報を餌にクリフトを取り囲み、大した手掛かりも与えぬまま長く押し留めたのだろう。色めき立つ女性の輪から辛々逃れてきたクリフトは、余程疲れていたのかテーブルに肘をついて言っていた。
「今夜は来るでしょうか」
 窓際で夜空を眺めるアリーナの背後には、迫るほど大きな満月が怪しく輝いており、舞うように降る雪が光を帯びて闇を照らしている。それは辺境の村が見せる幻想的な自然風景というよりも、もっと神秘的で恐ろしく感じるものだった。
「そのモンスターは心を奪う魔術を使うとか」
「打撃が通用するかしら。腕がなるわね」
 どこまで脚色が加えられているかは疑わしいが、村娘達の話では、彼は紳士か貴族か立派な人間の格好をしており、驚くべき端整な振る舞いと美麗なる玉姿を以て女を虜にするのだと言う。甘美な牙に屠られた娘は、彼に選ばれた乙女として地底の城に招かれ、永久の美を得られるというのだから、モンスターとはいえ彼に血を吸われることを望む者すら居るらしい。
「テンペの事件より厄介かも」
 モンスターの脅威に怯えて家籠もるどころか、異邦人のクリフトに群がっては熱っぽい視線を注いでやまない娘達である。アリーナは、彼の佳顔が珍しく困憊の色に染まっているのを見て苦笑した。
「永遠の命を持っているとは真でしょうか」
「だとしたら勝ち目はないわね」
 時折厚ぼったい雲に隠れては目の醒めるような光を注ぐ今宵の満月は、しかしなんと妖艶なことか。
 窓に舞い込む雪が手の甲に乗って雫となった時、外に視線を投げていたアリーナは、傍にクリフトの気配を感じる。
「窓を開けていては冷えますよ」
「開けてた方が見やすいわよ。それに此処に来るかも」
 隣町の時計職人に嫁ぐはずだった娘が消えたのも、この部屋だったという。是非に泊まりたいと申し出たアリーナを、宿屋の主人は頑なに拒んではいたが、魔物退治であることを告げてようやく取り付けた此処は成程月も見やすく、まるで飲み込まれそうなほどに迫る銀の月光は真夜中とはいえ部屋を煌々と照らしていた。
「貴女が攫われては困ります」
 窓辺に手を掛けて闇に視線を注ぐアリーナを、クリフトは後ろ抱きに包む。羽毛のように踊る柔らかい雪ではあるが、大気が冷えていることに変わりなく、クリフトはその胸に小さな彼女をすっぽりとしまいこんだ。
「ク、クリフト」
「はい」
「、はいって……
 返事をされても困る。
 突然の行動に声を上擦らせたアリーナが窓枠に置いた自らの手を見れば、今は手袋を外したクリフトが、冷たくなった己の指先を温めようと直に触れていることに気付き、静かに頬を染める。
 長身を屈めたクリフトは、自身の体躯全てでアリーナを包み守っており、彼女の華奢な肩に埋めるように顎を乗せて強く抱き締めているのだ。
「ど、どうしたの」
 彼らしくない唐突さと積極性に戸惑ったアリーナは、視線を泳がせて問う。
「どうか、そのままで」
 耳元のすぐ傍で彼の低音を聞く。やや倦怠気味に呟かれた言葉は、呼気がアリーナの頬にかかるほど。やけに色気のある彼に身を強張らせたアリーナは、窓より流れる冷気すら忘れてしまった。
「久しぶりだと思いまして、押し留めてはいるのですが」
「、」
 何をと問うまでもなく、アリーナは知っている。
 彼とこうして二人になれるのは本当に久し振りだった。怪しげなモンスターの噂を聞いて胸を躍らせたのは間違いなくアリーナの方であったが、メンバーの誰もが興味を示さぬこの一件に、一人で退治に行こうとする彼女を諌めることもなく供をかって出たのがクリフト。恋人の約束をして以来二人きりになったのは、今回が初めてである。
「いけませんか」
「いけなくは、ないけどっ」
「では」
「ダッ、ダメダメダメッ!」
 普段は触れたいなどと、劣情を曖気(おくび)にも出さぬ彼が至近距離で迫ってくるとは。アリーナは予想外の彼の行動に、思わず心臓を跳ね上げて声を震わせた。
「ど、どうしちゃったの、クリフト」
 余程疲れたのだろうか、それとも異様な雰囲気の女性に囲まれた所為で頭が可笑しくなったのか。瞼を伏せたクリフトの長い睫毛を横目にアリーナが問えば、彼は艶のある伏し目のまま唇を開く。
「一度お許し戴いた貴女が、忘れられなくて」
「クリフト」
 これを聞いたアリーナは、耳を真っ赤に茹で上げた。
 想いを伝えたあの時は何に窮してしたというのか、彼女もまたクリフトを求めて溺れたことは記憶に新しい。
「抑えているのは今だけでないのですが」
 あれから心を繋げた安心感に満たされ、恋の不安も幾許か拭われたのは確か。しかし次に生まれた感情は、彼に触れて欲しいと願う更なる強欲。その一方で、普段の端整な立ち振る舞いからは凡そ彼の秘めた感情など捉えられず、募る慕情に胸を苦しめられているのは自分だけだとばかり思っていたのだが、
「月光に照らされた貴女に狂ってしまいました」
 凄艶なる満月に、流れる血を熱くさせたのはクリフトの方。
 熱籠もった低音に生々しい感情を感じる。アリーナを胸内に取り込んだ彼は情欲を隠さぬ獣であるのに、何故かそれがとても綺麗で、アリーナは身体を震わせて彼の腕の強さを確かめた。
 激しく早鐘を打つ胸の鼓動に息を詰まらせたアリーナは、狂おしく迫る想いのまま、彼に包まれた手をギュッと握って訴える。するとクリフトは、微動した彼女を逃さぬよう、芳しい馨りを放つ項に唇を落とした。
「ちょ、ちょっ、クリフト、ッ」
 背筋にゾクリとしたものが走る。
 この瞬間、甘美な思い出として心に留めておいたあの日の記憶が、身体を通して呼び起こされた。彼の唇が己の肌を滑った記憶が、電撃のように全身を疾走して覚醒させる。
「待っ、待って。あのね、私――
「アリーナ」
「、」
 名を呼ばれたアリーナは、昂揚する心臓を鷲掴みにされたようだった。
「もう待てない」
 彼の口調が変わる。それは恋人同士となった二人が交わした、二人だけで居るときの秘密の約束。
 彼の奥底の声を聞いたアリーナは、痺れそうになる脳裏の一縷に残る理性で呟いた。
 
 
 
 
 
   あぁ、これではまるで、
   まるで彼が吸血鬼ではないか。
 
 
 
 
 
 名は存在を縛るとはよく言ったもの。彼の声に縛られ、虜にされたアリーナは、姦しい村娘達の話を思い出してクリフトを見る。
 成程ヴァンパイアは美しい。
 彼になら全ての血を啜られ、奪われ、激しい蹂躙の後に下婢(はしため)となって跪くことさえ構わず、寧ろ彼の牙に屠られることを望む魔女にさえなれよう。
「や、やっぱり、待って」
 アリーナは首筋に麗容を埋めるクリフトを宥めるように言うと、急いで窓枠に手を掛けた。
「窓、閉めていいかな」
「何故」
 熱情を交わすような台詞に焦れたクリフトは直ぐに問う。
 吸血鬼が現れるかもしれぬ今夜、外の様子を見ておきたいと言ったのはアリーナの方で、彼女から窓を閉めたいというのは可笑しな話だった。
 不思議に思ったクリフトが顔を上げてアリーナを見れば、彼女は恥じらいに俯いたまま、躊躇いがちに口を開く。
「だ、だって。私の声が聞こえちゃうかもしれないんだもの」
 満月の淡い光を浴びながらチラつく粉雪を遮るように、やや古びた窓をガタガタと鳴らして閉めるアリーナ。灰の空に怪しげに浮かぶ冴月すら隠そうと、次に厚手のカーテンを閉め切れば、室内にようやく深い闇が訪れた。
 両腕に捕らわれながらも手早く動いた彼女に驚いたクリフトは、しかしその言葉に満足したのか、薄く笑って頷く。
「確かに。貴女の声は月にさえ聞かせたくない」
 その声も、姿態も。
 そう言ってクッと口角を上げたクリフトは、漸く差し出された彼女の白い喉笛に噛み付いた。
 
 
 
 
 
 
壮麗、凄艶タリ吸血鬼。
今宵ハ何処ニカ現ハルル哉。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 季節を限定する小説はあんまり好きじゃないんですが、
吸血鬼は冬の満月の印象が強くて、雪降らせてみました。
 
あと、「曖気」は正しくは口偏ですけど、
変換されなかったので善後策で類字を当てています。
すみませーん(汗)!!!
 
 
 
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