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宮廷魔導士の任を退いた老臣下は、今や移民の町の片隅に小さな家を建てて隠居生活を送っていた。此処はサントハイム城と山脈で分かたれているものの、内海を船で伝えばテンペの村より近く、特に海の魔物の不安もなくなってからは海上交易が盛んになりつつある。
嘗て王家の墓に隠されていた秘宝と、サントハイム王に編纂を任された数々の魔術書を彼が守っていることを知る者は少ない。深い森の奥に住む彼を訪ねるのは、退官前に苦労を共にした同僚か、既に伝説となりつつある冒険を共にした仲間達。そのうちクリフトとアリーナは、それぞれに国で重き役割を負っているものの、月に一度は彼の労いに葡萄酒を差し入れることにしている。
それが今回、互いの都合が合って共に出掛けることになったのは稀に見る奇遇あったが、外は生憎の雨模様。物見遊山の気分で繰り出した船も揺れるばかりで、二人が港を出た頃は突風で船が覆るほどの豪雨になっていた。
叢時雨かと足を速めたのが不味かったか、それとも急ぐ気持ちが判断を誤らせたか。激しい雨に打たれ続けたクリフトとアリーナは、それから森に辿り着くまでの半分にも満たない距離で全身を濡れネズミの如くさせ、歩みさえ疾風に阻まれるほどの豪雨に見舞われた。
特に民家の数も減ってくる街道は、通り抜ける風も壁に当たって予想できず、時折地面から煽るような猛風に身体を奪われそうになる。ろくに馬車も通らぬ此処は道も整備されておらず、不安定な足元が更に行く道を阻むようだった。
「姫様」
途中、激しい風に煽られたアリーナが身体を飛ばしそうになり、クリフトが既(すんで)の所で手を伸ばす。濡れた皮手袋同士がやっとのことで風に耐え、お互い安堵の溜息を吐くという、その繰り返し。
「引き返しますか」
「ううん。行く」
フードの中まで雨の入り込んだ外套は既に重みを与えるだけのものになってしまった。アリーナは濡れた髪が束になって風に吹かれるのを手で抑えながらクリフトの言に首を振り、瞳を合わせた彼もまた無言でそれを受け止める。アリーナの額から雨の雫が止めどなく伝う様を見て、クリフトは彼女もまた己と同じく肌まで濡れているのだろうと思った。
「急がなくてはならないとは承知しています」
雨が運ぶ砂を両唇に感じながら、クリフトが「しかし」と口を開いたその瞬間、大地を割くような雷鳴が轟き、稲妻が空を貫く。
「きゃっ!」
塔か、家屋か、いずれにせよ近くに落ちた。耳を張り裂く轟音が大空に響き、アリーナが思わず身を屈める。天空の嘶きにも似た雷轟はアリーナが内心苦手とするところで、嘗て勇者がそれを呼び出した時も身構えていたものだった。
紫電の閃きと同時に雨風は強くなり、いよいよ神の怒りを見ると思えば、アリーナはいつの間にか自分が壁に寄りかかっていることに気付く。それが街道に点々と立ち並ぶ古ぼけた建物の外壁だと判明ったのは、クリフトの声を聞いた後。
「仕方ありません」
見上げればクリフトが、アリーナの寄りかかる壁に両手をついて立っている。彼は降りしきる豪雨から守る盾となるよう彼女に向かいながら、なんとも複雑な声色で言った。
「少し休みましょう」
長身の彼が小柄なアリーナを覆うように背を丸めれば、そこはまるで屋根のよう。身を小さくしたアリーナが不意に暗くなった視界に上目見ると、前髪から雨雫を流し続けるクリフトが、えも言われぬ麗顔に葛藤を乗せたまま己を見つめていることに気付き、暫し言葉を失った。
進む道の途中で宿を借りることは冒険中にもよくあった事だが、それをクリフトがこれ程まで躊躇うのは何故だろうとアリーナは思った。固く口を閉ざしたまま宿の狭い入り口を探す彼の濡れきった背中を見つめながら、アリーナが不思議そうに様子を眺めていると、ふと振り返った彼は驚くほど神妙な面持ちで静かに語りかけてくる。
「姫様。これから部屋に入るまで、一切顔を見られてはなりません」
「え?」
「一言も声を出さずに、どうか」
突然のクリフトの物言いが分からず、キョトンとした表情のままアリーナが宿の玄関口を覗き込むと、それを見た彼は慌てて身を乗り出して彼女を捕まえる。好奇心の旺盛なアリーナを、理解できぬ言を以て制することなど無謀であったか、クリフトは戸惑いを隠せぬまま思いを決めたように主君の膝を抱えると、そのまま足早に門を潜った。
「クリフト、」と驚きに名を呼ぼうとするアリーナの声は、彼の手がやや強引に彼女の頭を胸に押し付けたことでかき消える。その突飛な行動の理由さえ理解らぬアリーナは、これまでにないクリフトとの接触で思考が混乱しそうだった。
「濡れているので、何処でも結構」
アリーナの視界からは見えないが、クリフトはフロントに立つ宿の者に恐ろしく落ち着いた声で一言発すると、アリーナを抱えたまま部屋の鍵を受け取って廊下を歩く。彼は器用に片手で施錠された扉を開けると、やや乱暴に足で扉を閉めて、それから漸くアリーナを床に降ろした。
「ご無礼をお許しください」
目深に被っていた外套のフードを取り、クリフトは深く礼をして謝る。未だ周囲を気にしているのか、彼は普段より声を低くして小さく言うと、備え付けてあった大きなタオルをアリーナの頭に乗せて更に続けた。
「せめて髪が乾くまで待ちましょう」
「う、うん。ありがと……」
肌触りの良い柔らかなタオルに触れたアリーナは、その陰からクリフトの何かに滅入ったような表情を盗み見る。物憂げに部屋を見渡して「どうしたものか」と考え倦(あぐ)ねる彼は何に窮しているというのだろう、事態の読めぬアリーナはただ今しがたの彼の行動に胸が騒ぐばかりだった。
「シャワーがついてる」
「えぇ」
「入ってきていい?」
「え、えぇ」
彼の傍に居れば息詰まる胸は苦しくなり、動揺も悟られてしまうと思ったアリーナは、思いついたように浴室へと消えた。古ぼけた概観からは想像もつかない設備の充実に気を良くした彼女は、冷たく張り付く服を剥がすように脱ぎ捨てると、上機嫌でコックを捻って熱めの湯を頭から被る。髪まで入り込んだ砂が排水溝に流れていくのを眺めながら、アリーナは深く安堵の溜息を吐いた。
そんな彼女がクリフトの葛藤に気付くのは、この後のことになる。
「クリフトも浴び……クリフト?」
「ここに居ます」
次にアリーナが部屋に戻ってきた時には、彼は天蓋のベッドのカーテンを使って部屋を二つに分けているところで、揺れる布の奥に手際よく動く彼の姿を見つけることが出来た。見れば彼はまだ濡れたままの姿で、腕に絡みつく衣類をそのままに作業している。
「何してるの?」
「姫様のお姿を見るようなことがあっては、」
ならないと続けるつもりの彼の相変わらずな態度に、またしても溜息を吐こうとしたアリーナは、その時隣の壁が大きく揺れるのに気付いて口を閉ざした。
「、」
同時に忙しなく動いていたクリフトの指も止まる。隣の部屋のベッドが激しく軋む音と振動、そして艶めかしい女の嬌声が合わせて漏れた。どれだけ内装が立派でも、壁は薄く脆いのだろう、甲高く喘ぐ女の声には男の熱い吐息も交じって聞こえ、隣人が何をしているのかは直ぐに理解る。
音に驚いたアリーナが不意に壁の方向を見て、カーテンの奥からクリフトが苦しい咳払いをする。そこで漸くアリーナはこの宿がどのような目的で利用されるものであるかを悟った。
「え、えっと」
此処に入るまでクリフトが非常に戸惑っていたのも、隠れるように部屋に入ってきたのも、別々の部屋を取れずに今こうして部屋そのものを別っていることも。彼の秘密めいた行動の全ての理由に気付いたアリーナは、みるみるうちに頬を染めた。
成程サントハイム城の姫君が領内の逢引宿に入ったとあらば、とんでもない事である。それこそ二人が老臣の見舞いという名目で外出していることすら世間に広まれば、どんなスキャンダルに化けるか分からない。そのような事で今回の件が露見すれば、密かに帯びた君命さえ知れ渡ってしまうではないか。
「風が止むまでの辛抱です」
「そ、そうよね」
今も外は激しい雷雨に見舞われている。此処で休まずに先に進んでいたとしたら、小柄なアリーナは暴風に飛ばされていたか、長身のクリフトはこの先に続く平野で雷に打たれていただろうから、今の判断は正しかった。世界を旅して知ったことだが、街の中心から郊外へ抜ける道には、必ずと言って良いほど売春宿かそのような類の店が点在しており、これを過ぎれば宿はもとより休む屋根すらないことはアリーナも承知している。そのような中で此処に至るまでに彼が取った行動は、配慮が行き届いていただろう。
「とにかくさ、クリフトも温まって来たら」
「私は」
「風邪を引いたら困るのは私よ」
部屋を二分するカーテン越しに、たどたどしい会話を交わす。クリフトは暫し迷っていたようだったが、有無を言わさぬアリーナの言に折れたのか、「失礼します」と言って浴室へ身を運ぶ。その間にも彼は部屋を暗くして彼女を見ぬよう気を配り、終始アリーナを閉口させた。やがて無機質なシャワー音が耳を霞め、アリーナは気の抜けたような溜息を吐く。
「ふぅ」
成り行きとはいえ、まさか彼とこのような宿に入るとは思わなかった。勿論、目的は葡萄酒に隠した父王の密命を老魔導士に渡すことであり、間違っても此処に入ることを目的とする行為がある訳ではない。事は急を要しており、お互いの衣類が乾いて身体が温まれば、凪いだ雨空を見計らって繰り出すつもりで、一時的な動揺をしている場合ではないのだ。
アリーナがそう考えている間にも、隣部屋の振動と嬌声は外の雨風と同じく止まず、その勢いは激しくなるばかり。暗い部屋で膝を抱えた彼女は、ベッドに寝転がるのも躊躇われ、そのまま身を小さくして沈黙していた。
(雨、全然止みそうにない)
クリフトが窓を隠したために外の様子は見えないが、屋根を打つ雨音の激しさは回復の兆しもない。卑猥な女の鳴き声から意識を反らそうと努力をすれば、聞こえてくるのは雨音に似たクリフトのシャワー音で、それにも心臓が飛び跳ねるアリーナは、頬を染めながら頭をぶんぶんと振る。
(考えちゃダメ! ダメッ!)
「姫様?」
「はっ、はい! ここに居るよ!」
暗い部屋で微動だにせず佇む彼女を不思議に思ったクリフトが、浴室から出て呼びかけた時には、必要以上に驚いて声を上擦らせるほどだった。
闇に近い一室で二人、雨が止むのを待つ。
濡れた衣服は砂を落とし、部屋に渡したロープに吊るした。水を含んだブーツは逆さにして扉口に立てかけた。冷えた身体は湯で温め、髪が乾けば後は天候の回復を待つばかり。密命を果たそうと先を急ぐ二人にとって、通り雨が過ぎ去るのは非常に待ち遠しかった。
「酷い天気ね」
「このように荒れるのは初めてかと」
天蓋のカーテンを超えた向こうには、タオルを巻いただけの相手が、自分と同じく雨風の轟音に耳を澄ましていることだろう。
「寒くありませんか」
「平気」
「……」
「……」
互いに掛ける言葉が少ないのは、激しい雷轟と共に漏れる隣部屋の喘ぎ声に戸惑っているからか。外の雨がどれだけ強く家屋を打ちつけようとも、雷鳴が大地を揺るがそうとも、すぐ隣にあるベッドが軋み揺れる音が隠されることはない。独特の息遣いは壁のすぐ向こうにあり、その生々しい行為は目の前にあるかのようで、クリフトもアリーナも聞こえないふりは到底出来なかった。
「あの、」
そんな気まずい沈黙を戸惑いながら破ったのは、クリフトの声。彼は布越しに静かに話しかけると、俯いていたアリーナは布の奥を見る。
「申し訳ありません」
「どうして」
そんな事はないという意味のつもりが、このような返事ではクリフトも返事に困るだろう気付いたのは、既に言ってしまった後。「それは、」と躊躇いがちに理由を口にする彼の言葉が耳を擽り、アリーナは更に頬を赤く染めた。
「このような場所に姫様をお連れしてしまって」
「そんな、こと」
会話に集中しろ、と自らに念じる。恥じらいもせず喘ぐ女の声や、欲望のままに荒ぶる男の呼吸に思考が遮られるのか、アリーナはますます身を縮めて言葉を詰まらせ、その様子に暗闇で気付いたクリフトは、切めてもの提案にと、何か動いたようだった。
「姫様。これを、」
「クリフト」
それが本来、何に使う布であるかを二人は知らない。クリフトはサイドテーブルに置かれたそれを耳栓代わりに彼女に差し出そうと身を乗り出し、アリーナもまた彼の厚意を受け取るべく二人の間にある天幕に近付いた。
その瞬間のことである。
「きゃ!」
刹那、建物さえ両断するかのような凄まじい天雷が大気を貫いた。
「、姫様」
大地が裂けたかと思った。古ぼけた宿は地鳴りに大きく軋み、大きなベッドに佇んでいたアリーナの身もまた揺さぶられる。深みのある羽毛の上で足場を危うくさせた彼女は何かに掴まろうと目の前の天幕を握り、それは驚いた衝動でロープを千切るほどの勢いを増した。
窓は締め切っているというのに、暗雲を切り裂いた稲光は部屋にも達したようで、大地を蒼白く浮かび上がらせた鋭い閃光は、雷鳴に叫ぶアリーナの白い肌をくっきりと描き出す。
ほんの一瞬ではあるが、アリーナは真っ白の世界で自らの姿に瞳を大きくさせる裸のクリフトを見た。
「姫様」
「ク、リフト」
蒼い稲妻と同時に轟音が大地を覆い、二人の上には両者を隔てた筈のカーテンがバサリと落ちてくる。
「うわっ!」
「きゃっ!」
白の世界から一気に闇へと導かれたアリーナがもがくようにして布を払えば、ベッドから転げ落ちた自分が彼を下敷きにしていることに気付いた。彼は雷の音に驚いたアリーナを守ろうと身を差し出したらしく、彼女を抱えながら床に頭を強打しており、生乾きの深い藍の髪が短毛の絨毯に投げ出されている。
「クリフト、大丈――」
彼の無事を確かめようとしてアリーナは息を飲んだ。
闇の中でこんなにも鮮やかに彼の肌が見えるのはどういう理由(わけ)か。凡そ肌を晒すことのないクリフトの腕も胸板も、首筋や鎖骨まで、アリーナの眼窩には今までに見た事のない彼が居る。クリフトに跨るようにして乗ったアリーナは、その胸板に置いた手が男性的な厚みを感じていることにただただ驚き、言葉を失って彼を見つめていた。
「姫様」
クリフトもまた余程彼らしくない吃驚の表情でアリーナを見上げているのは、彼女が身体に巻きつけていたタオルが開(はだ)け、終ぞ見た事のない白いデコルテが露になっているからか。彼女の華奢な肩より伸びる細い腕が己の心臓に触れており、臥せた瞼を縁取る長い睫毛が金の光を放つ様を見上げ、クリフトは思考回路を断たれる。
なんと甘く柔らかい感触か。
「……」
「……」
肌と肌が触れ合ってしまった以上、互いに掛ける言葉など見つかる筈もない。クリフトは漆黒の闇にさえ見事に映える彼女の白肌に釘付けとなり、全身に感じる心地良い重みに我を忘れていたし、一方のアリーナは初めて見る彼の美しい裸に息を飲み、胸元でドクンと音を立てる心臓の温かさに眩暈を起こしていた。
「……」
「……」
外の酷い雨風と、隣の嬌声はまだ止まない。周囲は耳を塞ぎたくなるほど激しい音で満ちているのに、此処だけが取り残されたように沈黙が苦しい。ベッド下に投げ出された二人は落ちた天幕を床に散らしながら、ただ闇に光を留める瞳だけを見詰め合って動かなかった。
(クリフト。ねぇ、)
(嗚呼、姫様)
間違っても私達は間違わない。
隣部屋から漏れる吐息と嬌声に煽られ、互いの肌を見て触れ合ったとしても、自分達が成り行きに交わることなど余程ないだろう。それ故、隣部屋の見知らぬ女のようにアリーナもまた切なげに狂おしく喘ぐのだろうかと思い描くことや、常に冷静なクリフトとて甘く深い吐息を漏らして劣情に染まることがあるのだろうかと考えることなどは、凡そ可笑しな話である。
(如何したら良いというのか)
(どうして私達、離れられないの)
然しそうだと理解しながら、目の前の相手から視線を離せないのは何故か。女は一国の王女であり、片や男は聖職に就く神官だというのに、この到底交わるとは思えぬ二人が肌を晒しながらも隠せないのは、如何なる思いがその胸に秘められているからか。
蒼白に近い閃光が部屋を明るみに晒したのは、瞬きよりも速い一瞬のことであったが、互いの瞳に映した裸体は闇にさえ浮かんで消えることはない。
「……」
「……」
あぁ、私達は。
今や二人の耳には、もはや隣人の音はおろか未だ天に荒れ狂う豪雨の轟きさえ遠かった。
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【あとがき】 |
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僕等お互い弱虫すぎて 踏み込めないまま朝を迎える。
(くるり「薔薇の花」より)
このくらいのラインが好き。
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