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私は泥沼に泳ぐ小さな魚。
何も見えなくて、何も聞こえない。
濁った水の中に居るから
自分の流した涙にさえ気付かない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ようこそ、俺のホームグラウンドへ」
 ククールがそう言ってエイトを連れてきたのは、日も落ちかかった夕闇の頃。暮れなずむドニの町はまだ陽の熱が残っており、加えて家々より零れる光が温かく道を照らしていたので、柔らかい空気が漂っていた。
「酒を飲むにはいい所だ、奢るぜ」
……僕達、一緒の財布じゃないか」
「まぁな」
 何故、二人でドニの町へ来ることになったのだろう? どうして酒を飲もうという話になったのだろう? エイトは首を傾げながら、ククールの案内するままに足を運んでいた。
 小さな町。
 修道院の宿場町として賑うこの町は、ククールの故郷である。
 彼と旅を共にする前、ククールを幼い頃から知る町の人から、彼が修道院に入った経緯を耳にしたことがあった。今や大司教の右腕として活躍する聖堂騎士団長のマルチェロとは腹違いの兄弟であるということは、いつの日か彼がポツリと教えてくれた。二人にある複雑な関係を、そのまま表すかのような複雑な表情で伝えてくれたのをエイトは覚えている。
 彼にとって、此処はどういう所なのか。
 ククールを見かけた故郷の人は、顔を綻ばせながら優しく声をかけて彼を迎えてくれる。気さくに手を上げて「久しぶり」と笑うククールからは、あまり感情が読み取れなかった。
「入れよ」
「う、うん」
 酒場の扉を引いて促したククールにつられてエイトが入る。
 酒場特有の雰囲気。オレンジ色の温かい光の下で、綻んだ顔や怒気を含んだ顔、情けない顔が入り混っている。グラスを傾ける音と、注文する声。時折大きな笑いが起きて、酒気に満ちた空間を密にしている。
 エイトはやはりこの独特の空気が苦手だった。
 入り口で足を止めていると、「いらっしゃい」と声をかけた遠くの給仕が瞬間、目を見開いた。
「あら! ククールじゃない!」
 注文に呼ばれる声も適当にすり抜け、給仕のバニーガールが駆け寄ってくる。
 酒場のマスターがその様子に気付き、彼女の向かう方向を追うように視線を移すと、目の合ったククールは馴染みの主人にニコリと挨拶した。
「最近めっきり顔を出さないんだもの。もう、どうしたのよ」
「あぁ、淋しい思いをさせたね」
 詰るようにバニーガールはククールに擦り寄り、上目に彼を眺め見た。ククールも穏やかな瞳でそれを受け止め、端正な笑顔を彼女に注ぐ。色っぽく誘うお互いの瞳はなんとも艶めいていて、思わずエイトは二人から視線を逸らした。
「前より女っぽくなったんじゃないの? 俺を想ってくれてたから?」
「相変わらず上手ね」
 ククールの言葉にクスリと笑って、流し目をするバニーガールは確かに美しかった。目を泳がせていたエイトも、耳だけは二人の会話を聞いてしまっている。
「この町には暫く居るのかしら。今夜は、空いてないの……?」
 女らしい細い手が、ククールの胸にそっと置かれた。恥じらいながらも、チラと上目に彼女はククールを見る。
 これにククールはふっと微笑すると、驚くほど綺麗な笑顔を作った。
「ごめん。先約が入ってるんだ。君に誘われると思っていなかったからね。残念だな」
 ゆっくりと手を離す。
 誘った側の彼女の自尊心を損ねぬよう、且つ自分に対する愛情を更に募らせるよう断るのは至難の技だ。
「そう……本当、残念」
 長い睫毛を伏せて、残念そうにバニーガールは微笑した。ククールの言葉が、気を利かせたものだと理解ってはいても、やはり好意ある一言に悪い気はしない。
「、そっちの男の子も?」
 ふと、気付いたようにバニーガールはエイトを見やった。
 色気ある視線を注がれてドキリとしたエイトは、その誘うような瞳に閉口して戸惑う。
「えっと、その」
 ククールがその様子を見て笑った。
「まぁね」
 その笑顔が、古馴染みの彼女さえ見たことのない穏やかなものだったので、紅を塗った妖艶な唇は不意に気になって開いていた。
「二人一緒って訳じゃないわよね?」
「だったらどうする?」
 ニヤリとククールが笑った。彼女の顔を探るように覘いて、反応を待っている。
「私、そういうのも結構好きよ?」
 こちらも口端を上げて笑みを返したので、ククールは声を出して笑った。
 エイトはそんな二人に何も言えなくなって、ただただ困惑してしまう。
「まぁいいわ、座って」
 彼女はスッと踵を返すと、立ち話をするのも何だからとテーブルに二人を促し、ククールとエイトは案内された椅子に腰かけた。
 中に進めば、酒場の生暖かい熱気が酒気を帯びて鼻腔を擽る。加えて耳鳴りがするほどの喧騒。やはりエイトはこの雰囲気にどうにも慣れない。
「ポーカーするか? エイト」
 言うや否や、ククールの袖から手品のようにカードが現れる。
「仲間同士で賭け事はよくないよ」
「俺とお前の財布が一緒なんだから、賭けたところで所持金変わらないだろ?」
 返された言葉にエイトが苦笑する。
 ククールを最初に見かけた時も、彼はカードで賭け事をしていた。余裕の表情で、言葉巧みに相手を挑発していた彼を思い出す。そういえば、あの時はちょっとした騒動になった。
「ほら。ストレート」
 数ターンもしないうちにククールはカードを広げて作った役を見せる。それはエイトとの賭けを楽しむというよりも、出来た役を見せ付けるようなゲームになっていた。
「フラッシュ」
 ククールは次々と並びのカードを見せては、エイトの手札の不揃いを笑った。
「フォーカード」
「凄いよ、ククール」
 エイトが参ったとばかり感嘆の声を上げた。
「な? ガキの頃から得意だったんだ」
 ククールが自慢気に笑った。
 それは先ほどバニーガールに見せたような作った笑みとは違って、子供のように顔を綻ばせた無垢なもの。エイトは彼の笑顔を見て何となく安心した。
「おまたせ」
 先程のバニーガールが注文を取りに来た。ククールは軽く彼女にウインクした後でエイトに尋ねる。
「飲むか?」
 彼の返事を待たずに、ククールはワインを二つ頼むと言っていたので、エイトは苦笑する。
 彼女が色っぽく腰を振って去るのを眺めて、エイトはそっと口を開いた。
「お酒って、あんまり美味しく感じないんだよね」
「別に酒は美味しくて飲む訳じゃない」
 ククールは手札を見ながら静かに答える。
……束の間でも酔い痴れたいから飲むんだ」
 カードを指で弾いて、皮肉っぽくククールが言った。
「ほら、ロイヤル」
 ククールが手札をエイトに見せた。軽く投げたカードが机に散らばって、スペードの揃いがカツカツと音を立てた。
 エイトはカードの並びよりも、それを見て少し翳ったククールの表情を暫し黙って見ていた。
 
 
 
 
 
 前菜と共に、色の良いワインが運ばれる。給仕は別の女性だったが、ククールは彼女にも丁寧に謝辞を言った。洒落た台詞に加えて華やかな微笑を湛えるククールに、相変わらず抜け目がないとエイトは苦笑する。
「平和の為に流された血の杯か」
「?」
「いや、なんでもないさ」
 ククールは独り言のようにそう言って、赤いワインを手で回すと、エイトに差し出す。
「乾杯」
 エイトもまた彼にグラスを傾けた。
「うん、乾杯」
 ククールは唇にグラスをつけると、すっと一口、丁寧に飲んだ。口に広がるその味を確かめていると、眼の前のエイトが苦い顔をしていた。
「本当、ダメなクチだな。お前」
……そうかも」
 ククールが呆れたような笑いを見せて、エイトも合わせて破顔する。
「次は水を頼むことにするよ」
 口に渋みを残したまま、エイトは前菜に箸をつけることにした。
 お子様だね、とククールが失笑を零したとき、ワインを傾ける彼の肩に勢い良く手がかけられた。
「よう、ククール。久しぶりじゃないか」
 青い服の長身の男は、紋章を確認するまでもなく直ぐに何者か分かった。後ろにはもう一人、同じく青い服を着た太身の男が控えている。
 聖堂騎士団の古顔であろう、ククールも振り向く。
「あぁ、久しぶり」
 どうにも野卑た雰囲気を持つ連中だったが、ククールは表情を崩さない。
「調子はどう」
「お前が出ていってからは、張り合いがなくてな」
 男は、ククールがオディロ院長の仇討ちの為に修道院を出たことを残念がっていると言った。院長の交代によって騎士団の色も一新され、修道院そのもののあり方さえ変わり始めているという。ククールは取り立てて感情を出すことなく、彼の昔話に付き合った。
 話は暫く続き、修道院の近況や聖職界の動向など、エイトにとっては馴染みのない言葉が飛び交っていたが、抑(そもそも)気になるのは話の内容ではない。エイトはいつの間にか箸を止めて、ククールの様子を見ていた。
「で、お前は最近どうなんだ」
 長身の男が口端を醜く上げて紡いだ言葉は、下衆いたものだった。
「昔は随分と愉しませてくれたが、最近はどうなんだ?」
……最近はご無沙汰だね」
 ククールは卑しい目つきを交わすように軽く微笑んだ。
「その隣は? お前の新しいヒモか? にしちゃ若いが」
 ジロリと、まるで値踏みでもするかのような視線を投げつけられ、エイトは先程から感じていた不快感を露わにして目を合わせる。睨まれた男の方は、彼の幼な顔を嘲るように噴き出した。
 そうして互いに好戦的な視線を投げあう二人に、ククールが割って入る。
「今はこいつと旅をしてるんだ。院長の仇を取る為に」
 端正な顔がより美しくなって微笑する。それは男を宥めるようであり、誘うようでもあって。蟲惑的な美貌が男を虜にする。
 その秀麗な顔を嘲笑うように、控えていた太身の男が後ろから言った。
「ククール、今のお前はいくらだ? 以前みたいに愉しませてくれよ」
 聞いていたエイトは我慢がならなくなってきた。
 今にも立ち上がりそうなエイトを制するように、ククールはその整った顔立ちを崩すことなく言葉を発する。
「悪いな。今はこいつの専用でね。残念」
 席を立ったのは、憤りを露わにしていたエイトではなく、ククールの方だった。彼は立ち上がるとエイトの椅子へと回り込み、彼をそっと抱き寄せて頬に軽いキスをする。
「、クク――
「そうだろ?」
 息を飲むほどに綺麗な微笑をエイトに見せたククールは、次に男に向かってウインクをした。
「こういうこと」
 これには聖堂騎士団の二人も、エイトも驚く。
 丁度水を運んできたバニーガールもその場に出くわし、眼を大きく丸く見開いていた。
「ク、ククール?」
 呆けた顔を見せる女と、すり抜けられた男たち。
 ククールはフッと笑うと、そのままエイトを引っ張った。
「いくぞ、エイト」
「えっ。う、うん」
「マスター、つけといて」
 酒場の喧騒をかき分けるように颯爽と靴を鳴らす。カウンターを通り過ぎる際に放ったククールの言葉に、マスターは失笑して頷いた。どうやら彼のツケには慣れているらしい。調理の女性と顔を見合わせて首を竦めている。
 入り口のドアノブに手をかけて外に出ると、二階から軽やかな女性の声が投げかけられた。
「あら、ククールじゃない! もう帰るの?」
「まぁね。君とも沢山話したかったけど、また今度」
 バルコニーより身を乗り出し、彼女は詰るような顔を見せていた。
 二階に向かって手を振り、彼女にも極上の笑みを見せながら、ククールはエイトを連れて街道に消えた。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
「災難に振り被っちまって、悪かったなー」
「ううん……
 ククールはそう軽く言うと、その後は宿屋まで黙って歩いた。
 エイトも騒動から抜け出したばかりの乱れた思考からは何を言って良いか分からず、その沈黙に合わせていた。
 街灯に任せて道を歩き、馴染みの宿で部屋を取る。ククールは手際よくチェックを済ませると、早足で階段を登っていった。エイトは慌てて彼についていき、部屋に足を踏み入れた時は、ククールはベッドに倒れこんでいた。
「全然飲めなかったなー」
 エイトは隣のベッドに腰掛け、黙って彼の様子を伺っていた。
……
……
 暫くの沈黙の後、ベッドに仰向けに身を委ねていたククールが口を開いた。
「幻滅しただろ」
 部屋に彼の声が染みた。
「何が?」
 エイトは彼の言わんとすることが何であるか、うっすらと感づいていたが、咄嗟に言葉が見つからない。敢えて分からないふりをする。
……
 部屋に重苦しい沈黙が満ちる。
 ククールは、長身の体躯を乱暴にベッドにただ預けている。彼はエイトの顔を見るわけでもなく呆けたように天を仰いで、ポツリと呟いた。
「修道院じゃ、しょっちゅうだった」
 天井を見つめたまま、ククールは続けた。
「あういう所にはスケープゴートが必要なのさ。分かるか? “生贄の羊”だよ」
 尋ねられたエイトからは、返事も相槌も出なかった。
 何も言えない。何と言っていいのか分からない。彼の言葉を、どう聞いて良いかすら分からない。
 きっとククールは、幼い頃から修道士達の醜い欲望の捌け口として、慰み物になったことが何回かあるのだろう。先程の会話から、エイトは何となくそれが分かった。
「エイト君は兵舎でそういうこと、なかった訳?」
 ククールが視線を落としてエイトの方を見やる。
「えっ、うん……
「ま、お前はお姫様のお気に入りだから、そういう目にも遭わなかったのか」
 自嘲気味に彼の口は失笑を湛えていた。
「男だけの社会じゃ、よくある話なんだけどなー」
 弱者が捌け口になる。誰かが犠牲になる。それは密閉された集団生活の中では逃れることのできない現象。社会を成立させる為の必要悪。不条理な暴力に、誰もが目を瞑っている。
「てか、修道院じゃ当たり前なんだけど」
 徳操と戒律を重んじる厳格な修道院にあって蠢く闇の部分。ククールは特別な事を喋っている様子でもなく、サラリと言ってのける。
 しかしエイトはこれに何も言えず、ただただ彼の言葉に口を固く閉ざしていた。
 酒場の二人組を思い出す。彼らを見た時は、激しい怒りと共に、どこかしら哀しさを感じていた。
 
 
 
 
 
 ククールが仲間になってからすぐ、彼がマイエラ修道院を嘲笑ったことを思い出す。
 ここは最も汚れた聖地。
 金と性、身分と地位、出世と名声。あらゆる欲にまみれた神の家だと、いつしか彼は吐き捨てるように言った。
 修道院に来て間もない頃は、彼の言葉にエイト達は単純に驚き、首を傾げていたものだが。
「巡礼に来る奴等の祈りだって醜いもんだよ。聞いてて反吐が出る。加えて、奴らの祈りを届ける聖職者までが穢れに満ちているんだから、まったく手に負えないぜ」
 7つの大罪の全てがそこにあると言って、彼はゼシカを失望させていた。彼女はククールの背徳的な言葉に大いに憤った後、怒気を露わに足音を立てて修道院から出て行ったものだ。
 件に関する無知と己の正義心ゆえに、ゼシカが激昂するのは当然の事だったが、今では彼女もその咎がククールには無いことを知っている。やり場のない憤懣に苛立ちながらも、彼女は理解していた。そしてそれはエイトも同じだった。
 
 
 
 
 
「容姿端麗、眉目秀麗なククール少年は、まさに格好の餌食だった訳さ」
 失笑を交えてククールが言ったが、エイトは黙していた。
 沈黙を続けるエイトに、ククールが畳み掛ける。
「負の感情の全てを俺にぶちまける。怒りも、欲望も、何もかも。嬲られて、犯されて、傷ついた後には蔑みの視線と罵りが注がれる」
 まるで便器か掃き溜めだ、と皮肉った。
 使用済みのコンドームみたいに捨てられて、ボロ雑巾みたいになってる所をあいつに見られた時には……
 言いかけたククールは言葉を詰まらせる。
 細い身体を捻らせて、深くベッドに沈む。
「ククール、」
 エイトは耐えかねて自らの沈黙を破った。彼は俯きながら拳を強く握っている。
 自分は彼に酷いことを言わせている。思い出すだけで壮絶な思いをするだろうに、ククールはそれを口に出して曝している。被験者である彼自身の傷口を更に広げるような、抉って塩を塗るような。
「もう……
 自虐に疾走るならば、もう。
 エイトは唇を噛んでいた。
「いや、言わせろ。言いたい」
 ククールは、部屋について初めてエイトと視線を合わせた。
「俺の為に言わせてくれ」
 起き上がって、ベッドに埋めていた靴を床に落とす。膝に手を置いて、ククールは目の前のエイトと向き合った。
「でも俺は歪んでいたから、心まで屈したりしなかった」
 組んだ掌を見つめながら、ククールは言った。
 心の中で軽蔑する。あざ笑ってやる。獣のように狂気に満ちて欲望のままに腰を打ち付ける奴らを、高みから嘲っていた。
「それから、狡賢くなって」
 生きる為に強くなった。
 酒の味を覚えて、賭博も出来るようになった。女も覚えたし、そのあしらいも身につけた。自分の容姿が優れていることなんてとうに分かっていたから、武器や道具に大いに利用した。
 言葉を巧みに操って、計算した笑顔で飾って。狡猾に人を欺いて、騙して、すり抜ける。
 小さな頃から、組み敷かれる立場を利用して、悧巧に世の中を渡り歩いてた。
「そうしたら、気付いた時には」
 彼の低い声が胸に軋む。
「気付けば虚構の世界で仮面を被って、全てが霞んで見えたんだ」
……
 
 
 
 
 
   まるで沼底に居る魚。
   泥水だから、一寸先もよく見えなくて。
   泳いでいたのか、沈んでいたのかも分からない。
 
   其処は深くて、光が届かない。
   寒くて暗くて、誰も居ない。
   そんな闇の底から、遥か上に挿す光の水面を眺めていた。
   己が泣いていることさえ気付かずに。
 
 
 
 
 
「俺を軽蔑するか?」
 頭を項垂れたまま、ククールは呟いた。
 暫くして、エイトが静かに口を開く。
「しないよ、勿論」
 エイトは、上がらない彼の顔を見ながら言った。
 ククールの銀糸の髪が、窓より差し込む月明かりを受けて、見事に美しく輝いている。
「俺は、」
 くぐもった声が聞こえる。
「狡くて、醜くて、……汚れてる。穢れてるんだ」
 膝に置かれた手が、細かく震えていた。
 エイトがその手にそっと触れる。
「君は僕が見た聖堂騎士団の人の中で、一番信心深くて、敬虔な人だと思うよ」
……
「誰よりも罪の重さを知って、神を愛している」
……
「誰よりも知っているから、傷ついているんだ」
 
 
 
 
 
   君は知っている。
   深い沼底から、光を見つめていたんだ。
   それは、光が明るくて、温かいものだって、知っていたからなんだ。
 
 
 
 
 
「エイト。抱いてくれよ」
 ククールの声は震えていた。
 声だけでない。彼の手も背中も震えていた。
「なんか俺……今、凄ェ寂しいんだ。あっためてくれよ」
「ククール」
「駄目なら、お前を抱きたい」
 エイトが何か言おうとしたが、遮るようにククールが口を開く。
「俺はこういう愛し方しか知らない」
 エイトは言葉を発する代わりに、触れていた手をギュッと握った。
 両手で彼の震えを抑えるように。温めるように。
「愛してくれよ、エイト……
 顔が上がった。
 なんという悲愴な顔。今にも泣き出しそうに空色の瞳は大きく潤んで求めている。初めて見た、彼の怯えの表情。
「ククールは寂しさを埋める為に僕を抱くの?」
 エイトは敢えて聞いた。
 今、このまま彼に身体を許しても彼は救われないと思ったからだった。
「お前は違う」
 ククールは真っ直ぐな視線を向けて答える。
 仮面を被って取り繕うのが自衛の習性になっていたとはいえ、これだけは信じて貰いたい。
 エイトもその視線を受け止めた。
「僕も同じだよ。僕も、君が大事だからこうするんだ」
 腰掛けていたベッドより離れ、彼の手前に跪く。彼の膝の前に座り、上目に眺め見る。
 そして、エイトの手がククールの頬に触れた。
……
 その時、ククールは初めて自分が涙を流していたことに気付いた。
 エイトは頬を伝った一筋の滴を指でそっと掬うと、彼の頬を掌で包んで微笑した。
「ククールが、好きだから」
 
 
 
 
 
 
 
 食べたことのない砂糖を、甘さが欲しくて求めぬよう
 知らない愛を欲しいとは思わないんだ。
 君は愛を知っている。
 その深い温もりに、君はどこかで触れた筈。
 
 
 
 
 
 
 

【ひとこと】
後半は性描写が含まれています。
ご不快に思われるかたは閲覧をご遠慮くださいまし。
 
 
 
クク主書庫へもどる



 
 
 
 
 

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