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Think of me,
Think of me waking, silent and resigned.
 
 
 
Imagine me,
trying too hard to put you from my mind.

 
 
 
 
 ドレスの仮縫いを終えたアリーナは、窮屈に押し込められていた身体を労うように伸ばしながら部屋を出て教会へと向かう。扉を開けて駆け込めば、中の人物を確認するより早く自分が最も聞きたかった事がすぐさまに返ってくる。
「クリフトなら日曜学校ですよ」
 勢い良く開けられた扉の奥に佇んでいたのはサントハイム王宮付の神父。扉の音ひとつで来客主が理解るのは本来の尋ね人であるクリフトと同じか。彼は相変わらずのお転婆姫に穏やかな微笑でそう答えながら、今しがた焼きあがったクッキーを袋に詰めて差し出す。次々と籠に収まっていくそれは、甘いバターの香りをさせてアリーナの鼻腔を擽った。
「先程までは外庭で子供達と生地を捏ねておりました。今頃はきっとお腹を空かせていることでしょう」
「届けるわ」
「ありがとうございます」
 アリーナは笑顔でそれを受け取ると、踵を返して聖堂を飛び出す。籠の上に掛ける布を差し出そうと振り返った時には既に遅く、彼女の姿は扉より消えていた。軽やかな靴音があっという間に遠ざかるのを耳にして、神父は思わず苦笑を零す。
「姫様はいつまでもお変わりない」
 外へ出たいと駄々をこねていた頃から、そう、何も。
「貴女がご結婚など、未だ私は信じられませんよ」
 導かれし者として世界を渉った過去は既に去り、一国の王女として国務を輔弼する存在となったアリーナには、今や婚儀の話が浮上している。
 彼女が此処に来るまでに寸法合わせをしていたドレスはまさにその為のもの。近日サントハイム王宮で開かれるパーティーに集まるのは、神隠し事件より見事復活を遂げた当国を祝う式典とは名ばかりの、アリーナへ想いを寄せる王族貴族。遅かれ早かれ、彼女はその中から共にサントハイムを支えていく伴侶となるべき相手を選ばなくてはならない。
「さて、どうしたものか」
 既に外庭で天衣無縫の笑みを見せているであろうアリーナ。神父は次に焼く生地をオーブンにかけながら、彼女の笑顔を受け止めるであろうクリフトを思い浮かべて独り言ちた。
 
 
 
 
 
「沢山あると思ったけど、ピッタリだったわね。足りないかってヒヤヒヤしちゃった」
「ありがとうございます」
 受け取ったクッキーの袋は籠一杯あったというのに、子供達に取り囲まれてしまえば一瞬で空になる。アリーナは焼きたての香ばしい香りを漂わせるそれを全て配り終えると、小麦粉で汚れたエプロンを外すクリフトの隣に腰掛けた。
「お忙しいのに来て下さって助かります」
 クリフトとて彼女が何で多忙なのかは知っている。サントハイム王宮内は目下近日に開催されるパーティーの準備で慌しくなっているのだから、主役である本人が渦中にあるのは当然だった。
「本当は逃げ出したいのよ」
「えぇ、そのようですね」
 柳眉を顰めるアリーナにクリフトが柔らかく微笑する。
「でも、お父様がお見合いじゃないだけ良いだろうって言うんだから、まぁ、そうよね」
 サントハイム王はこれまで山のように届いた求婚の手紙に、返事としてこのパーティーの招待状を送っていた。
 後継を確かにすることは、王家の者としてこの世に生を受けた時から定められている責務であるが、腕試しの旅にと城を飛び出した彼女が見事世界を救って帰ってきた以上、最初は奔放なアリーナに頭を抱えていた父王も遂に愛娘の性格に折れたのか、日毎に増える手紙を体良くかわすようになっているという。
 今回のパーティーは妥協の証か。アリーナに結婚相手を一人ずつ合わせるのは至難の業だと思うに至った父王は、彼等を一同に集めて選ばせる効率性を選んだと見える。
「今はダンスの練習で大変」
 礼の作法や挨拶の言葉など、幼少時に投げ出していた躾嗜み。必要に迫られた今になって一気に叩き込まれているアリーナは、ここ最近は教育係の女中頭と共に一日中部屋に詰められている。
 ただでさえ元気な四肢は解放されたくて疼くというのに、息苦しい裾の長いドレスを身につけてダンスの練習を繰り返されては余程滅入るのだろう。アリーナは今日叩き込まれたステップを皮肉を込めてクリフトに披露して見せると、その苦々しい表情につられた彼は珍しく失笑を零した。
「お見事です」
「随分なお世辞ね」
 まだ踊れるとも言えぬ拙さであることはアリーナも自覚している。彼女はクリフトの揶揄ったような言葉に頬を膨らませると、彼は微笑して「本当ですよ」とつけ加えた。
 そうして二人が微笑み合った時、
「アリーナさま、きれい!」
「もっとおどって!」
 まだまだ及第点を貰うには厳しいステップでも、傍から見ていた子供達には立派に見えるのか、クッキーの粉で口元を汚したままの可愛らしい口元は揃いも揃って彼女を褒め称え、ダンスの続きを要求する。小さな手で懸命に拍手する子供達がいじらしい。
「おどって、おどって!」
「おひめさまみたい!」
 丁度クリフトの隣でクッキーを食べ終えた少女がそう言うのだから、彼は慌ててその口の端に残るクッキーを取ってやりながら訂正した。
「姫様は元よりお姫様ですよ」
 聞いたアリーナは「いいのよ」と微笑みながら、クリフトの目の前に立って手を差し出す。
「続きを一緒に踊ってくれる?」
 幼子の口元を拭ってやりながら屈んでいたクリフトは、彼女を見上げて瞳を瞠った。
 見ればアリーナは冗談っぽく右手を己に差し出し、紳士の礼を取ってダンスを誘っているではないか。可笑しそうに笑みを湛えながら、頭を下げて一曲を求める様は皮肉めいているものの、うっすらと目蓋を伏せて己の手が乗ることを待つ姿はやはり美しかった。
……本来は女性から誘うものではありませんよ」
「理解ってる」
 クリフトは一言の苦言を発すると、汚れた指先を傍に置いたエプロンの裾で拭いて立ち上がろうとする。ダンスの練習相手になるならば、自分は男役として彼女を誘うところから始めなくてはと思った瞬間だった。
「クリフト」
「わっ、」
 刹那、右手が引っ張られる。
 芝の弾力に包まれた木の根に腰を下ろしていたクリフトは、瞬く間にアリーナに手を取られて立ち上がらされると、次の瞬間には眼前の彼女にニッコリと微笑まれていた。
「足を踏んじゃったらごめんね」
 強引に引き寄せて悪戯に微笑するアリーナ。
 クリフトは己の胸元で爛漫な笑みを見せる彼女に内心胸をさざめかせながら、子供達の好奇に満ちた瞳が集まるのを察して「仕方ない」という顔を作って応える。
「、まったく」
 そう、これは子供達に見せる余興のようなもの。決して自分が考えるようなものではないのだ。
「本番ではお相手の足だけでなく、ご自分の裾も踏まぬようご注意を」
「意地悪」
 クリフトは無垢に上目見るアリーナにそう言うと、彼女の細い体躯に腕を回して第一のステップを踏み出した。するとアリーナもまた美しく上げた口角よりリズムを口ずさんで歩み出す。
 青々とした芝の生い茂る外庭には、滑り良い大理石の床もオーケストラの奏でるワルツもない。そこにはただ1、2、3、とアリーナの声に合わせて手を打つ子供達が囲むばかりで、中にはまだクッキーに夢中になる少年さえ居るほど。
「ごめん、今踏んだ」
「構いません」
 それでもクリフトは幸せだと思った。
 正式な場でないとは言え、こうしてアリーナとダンスを踊れる男などそう居ない。彼女にダンスを申し込むには、本来ならば相応の身分と格がなければ叶わぬものを、己は神職に就くが故にこうして近しい距離で居られるのだ。
 しかし。
「本番までには足元から目が離れるようにならねばなりませんね」
「あ、やっぱりバレてる?」
 アリーナの苦笑いを胸元で見る自分に何かが突き刺さる。先程から自らが言うように、これは近日に差し迫るパーティーの為の練習であって本番ではない。神官として世俗の身分を持たぬクリフトは、当日は彼女と踊るどころかその場に居ることすら叶わぬ。
「ごめん、三回目」
「いえ」
 足の痛みなど。
 クリフトは時折アリーナの足が自分の脛を蹴るのに微笑しながら、胸に突き刺さるものを隠して踊った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この身分なる故に貴女と踊れる私は、
この身分なる故に貴女と踊れない。
 
 
 
 
 

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