−エピローグ−
「皆さん、サクラメント(秘蹟)については御存知ですか」
日曜礼拝の後のカテキズム(教理指導)。
神父を囲んで数十名の青少年が机を並べる光景は、つい最近見られるようになったもの。以前はクリフトが数人の児童を相手に執り行っていたが、ここ最近になってサントハイム領内に信仰の風が吹き、希望者の増加に伴って規模を大きくした。今は神父も指導に加わり、シスターを交えて交代制で開かれる集会は、第二の学習塾と化している。
「勿論、知っています」
手を挙げた数名の児童のうち、神父と目を合わせた少年が席を立って答えた。
「洗礼、堅信、聖体、罪の赦し、病者の塗油、叙階、婚姻の7つです」
明朗に答える凛々しい表情の少年に、神父はにこやかな笑みで答える。サントハイムは城内に教会を構えるほど信仰は篤い国で、教会に足繁く通う国民性さながら、子供達もまた基本的な教理については学ばずとも知っている。
「神父さま」
皆が知っていると言わんばかりの顔で神父を見つめる中、一人の児童が挙手して質問を投げた。
「人は7つあるサクラメントのうち、6つまでしか授かることが出来ません」
まだ幼いながらも聡明に輝く瞳は、純粋なる知的好奇心によって言葉を続ける。
彼の言葉はその通りで、聖職者であれば叙階の秘蹟に預かれるものの結婚することはできず、結ばれて婚姻の秘蹟に預かる者は叙階の秘蹟を授かることは出来ない。
「完全数である7に1足りない、不完全を意味する6……人間はサクラメントでは完全になることは出来ないのですか」
彼は聖典に記される数字や物質の象徴に興味があるようだ。神父はこれまでシンボリズムについては教えてこなかったが、独学で学ぶほど興味を募らせているとは中々のもの。嘗てのクリフトもそうであったかと、神父は昔を懐かしみながら口を開いた。「質問を分けましょう」
「まず、6は不完全数でありません」
6が忌み嫌われる数字であるように流布されているのは、民間の風俗と交わったからであって、教会の公式見解とすることはできない。神父はそう断った上で更に続けた。
「完全数の6と、同じ完全数で神を示す1を足したものが7であり、この3つの数字は全て完全です」
一人の少年の質問に、全員が真剣に学ぼうとしている。神父はこの場に居る全ての子供達に諭すよう言った。
「そして、サクラメントの全てを授かったとしても、他の戒律や完徳を行わなければ完全な者には近付けないでしょう」
秘蹟だけでは信仰の道を歩むことが出来ないと、一堂は頷いて納得する。
しかし質問をした当の本人はまだ腑に落ちない点があるのか、椅子に座らず更に言を重ねた。
「でも、7つの秘跡を全て授かることが出来ないのは残念ではありませんか」
首を傾げて唸る少年に、横から言葉が投げられた。
「あっ、僕、7つの秘跡の全てに与った方を知っています」
その言葉に弾かれたように、別の児童が身を乗り出す。
「えぇ、僕も知っています」
「私も!」
途端に声が挙がって騒がしくなるのは、今サントハイムに吹いている聖霊の導きか、国民の熱気か。
「今、一番有名じゃないかしら」
「アリーナ様と、クリフト様!」
互いに顔を見合わせて頷く児童達に、神父は苦笑して言った。
「えぇ、そうですね。二人は今一番の話題でしょう」
先日、サントハイム城より鳩の如き白い紙が空を覆って舞った。此処に座る子供達は知る由もないが、祝砲と共に白文が舞ったのは今から十数年も昔、現サントハイム王と故王妃の婚約が決まった時である。
「アリーナ様とクリフト様の婚約が正式に発表されたのよね」
「そうそう」
口々に二人の名を挙げる彼等の笑顔を眺めながら、神父は内心苦笑した。
宗教の保護に熱心なサントハイム王家にあって、次代を担うアリーナ姫は更なる信仰の道を歩むべく、クリフトと婚姻の秘蹟に預かることで完全なる神の従者となり、領内に信仰の風を吹かせる――。
「なんのことはありません」
これらはただの言い訳で、全ては互いを愛したからに他ならぬ。
聞けば老臣ブライの提言によって事は進められたというが、神父としては彼が持ち前の手腕を発揮したというより、知者である彼らしい「悪知恵」が働いただけのように見える。勿論、教会としてブライ老の提言に尽力した神父であるが、王宮と教会という交わらぬ世界が結ばれた歴史的奇跡に意気込む者など居らず、サントハイム王も神父自身も、或いはブライ老も、我が子の可愛さに奔走したに過ぎない。
「何より素晴らしいのは、秘蹟に預かったことより、愛を実らせたことです」
二人だけで実らせた愛ではない。しかし育てたのは紛れもなく二人。
「さぁ、皆さんで祝福しましょう。サントハイムの新しい旅立ちに」
神父が二本の指を掲げると、一同が静粛して額から十字を切る。
王家の嘉事に幸せムードが漂うサントハイム。これより数ヶ月の後、この城に再び白い――今度は婚儀を祝うマシュマロが降り注ぐことを楽しみにしながら、神父は窓より青い空を眺め見た。
Paesi che non ho mai veduto e vissuto con te, adesso si li vivro.
Con te partiro su navi per mari che, io lo so,
no, no, non esistono piu, con te io li rivivro.
(今までに見たことも行ったこともない場所へ)
(私はこれから貴方と共に旅立つ)
(船に乗って 海を越えて)
(もう どこにもなくなってしまった海を)
(貴方と二人で蘇らせよう)
「Time to say goodbye」は別れの歌と思われがちですが、
二人で未踏の新天地へと旅立つ、前向きな歌です。
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